2008年10月26日日曜日

Panasonicの新社歌

10月1日から松下電器産業株式会社がパナソニック株式会社に変更になった。 それに伴い社歌も変わった。グループソング新社歌の「この夢が未来」だ。 作詞は森雪之丞氏、「崖の上のポニョ」のテーマソングを作曲した久石譲氏で、曲調はJポップ風にし、歌詞には若者受けするフレーズを多く、荘重なメロディーや歌詞ではなく今の時代に合わせて気軽に聴き、歌える、カンパニーソングというよい社歌だ。 会社と社員の事業理念共有につながり、就職活動の学生や取引先からもイメージアップに繋がればと思う。
<Panasonic新社歌の歌詞(一部)>
遥か先人が描いた未来に 今 私達は生きてる 
だから信じよう たおやかな科学を
この夢が次の 未来になることを
一人ひとりが希望のかけら
繋がりあえば光に変わる 
Let's get together at panasonic 世界を結ぶ
先進の響き

ブーリン家の姉妹

10月25日から公開された「ブーリン家の姉妹」を鑑賞した。 あらすじは16世紀のイングランド。新興貴族のトーマス・ブーリン卿は一族繁栄のために才気あふれる美しい娘アンを国王ヘンリー8世の愛人に差し出すことを目論む。ところが、王の心を捉えたのはアンの妹で凡庸だが気立ての良いメアリーだった。一家は宮中に移り住み、メアリーは王の子を身籠る。一方、妹に栄誉を奪われたアンは一時フランスへ追放されるが、やがて呼び戻され、大胆にも王妃の座を狙って策略を巡らすのだった。国王を王妃キャサリンとの離婚のためにローマ・カトリック教会と決別させ、自らが王妃となったが、念願の男子を産むことがないまま、事実無根の姦通罪(弟ジョージと)の咎を受けて二人とも処刑されてしまう。 メアリーは故郷に戻り結婚し、エリザベスを引き取り王子と一緒に暮らす。一方トーマス・ブーリン卿はその3年後に死去、叔父は処刑されてしまう・・・・・。 アンはイギリスに大きな足跡を残した。第一に、キャサリンとの離婚のために、ヘンリー8世をしてローマ・カトリック教会と決別させ、国教会を設立する口実を与えたことである。それによってイギリスの風土は大きく変貌していく。 もう一つの功績とは、息子にこそ恵まれなかったが、一人の女の子を遺児として残したことである。後のエリザベス1世である。メアリ1世(ヘンリ8世とキャサリンとの娘)亡き後に即位した彼女の治下、イギリスは安定を回復し、世界の強国へとのし上がっていく。それがゆえに、アン・ブーリンはイギリスの歴史の礎を築いた母として、イギリス人にとって密かな敬意の対象になっている。歴史上は無名だった妹メアリーの関係にスポットを当てたフィリッパ・グレゴリーの同名ベストセラー小説を原作に、どちらか一方が日の目を見れば、もう一方は影となる姉妹の愛と葛藤が描かれていた。 演じるのはハリウッドの若手トップ女優ナタリー・ポートマンとスカーレット・ヨハンソン。

 

2008年10月22日水曜日

京都時代祭へ

一度見物に行きたいと思いながらも今日まで行けなかった時代祭、はじめて京都御苑に出かけて見物した。 この時代祭は、1895年(明治28年)、平安遷都1100年を記念して平安神宮が創建され、その時平安神宮の大祭、建造物、神苑の保存のため、市民により平安講社が組織され、記念事業として、この時代祭が始まった。 祭が行われる10月22日は、桓武天皇が794年(延暦13)に長岡京から平安京に都を移された日。 この祭の特色は、神幸祭、行在所祭、還幸祭の神儀のほか、時代風俗行列が行われることである。 明治維新から延暦時代へさかのぼって、順次風俗、文物の変遷が再現される。  本日は20列、約2000人に達した行列で、長さは2キロに及んだ。 祇園祭、葵祭とともに京都三大祭の一つに数えられている。 山国勤王隊を先頭に正午、京都御所建礼門前を出発⇒烏丸通⇒御池通⇒河原町通⇒三条通から平安神宮まで4.5キロ間に華麗な一大時代絵巻を展開するものだった。
本日の近畿中部の天気予想では、夕方から雨降りとのことであったが、午後1時前から降り出し、やんだり降ったりであった。 すでに行列もはじまって、中止するわけにはいかない状況、行列の人は大変だったと思う。 行列の終了は午後2時だった。 写真は、恒武天皇の神霊を乗せた鳳輦(ほうれん)である。

2008年10月18日土曜日

中之島ウォーク&トークに参加!

第4回「中之島の明日を考えるウォーク&トークのつどい」があり、はじめて参加した。 参加者は約1500名。  
内容は午前10時からフェステバルホールにて行われ、主催者の挨拶(朝日新聞大阪本社代表)、報告と対談(建築家の安藤忠雄氏より「美しい大阪」の取組みで、中之島を桜の島へ・剣先地区に大噴水の設置・ビルの壁面にツタをはわせる緑化計画などの報告と声楽家の鮫島有美子さんとの中之島を考えると題しての対談)、ミニミニコンサート(鮫島有美子さんの日本の歌)があった。
その後、ウォークとして6コース(京阪中之島線試乗・科学館と美術館・舟で見る中之島・朝日放送新社屋見学・フェスで歌おう(第九を歌う)・フェステバルホールの舞台壇上見学コース)に分かれて、それぞれに参加。 小生は京阪中之島線試乗コースに参加した。
明日(10月19日)、京阪中之島線が開業するのに先立って、「なにわ橋駅」から乗車し「大江橋駅」を経て「渡辺橋駅」まで、新車両での試乗であった。 また、「なにわ橋駅」や「渡辺橋駅」内の見学もあり、安藤忠雄氏が設計した新しい駅、従来のコンクリート作りではなく「木(無垢)と水を象徴するガラス」で統一されたやわらか味のある個性的な駅になっていた。 総工費は約1500億円、京阪天満橋駅から中之島駅まで3Kmで1m当たり約5000万円かかったそうだ。
この中之島線がやっと出来て、大阪国際会議場やリーガロイヤルホテルなど中之島に行くのに大変便利になったし、大きく変わっていくだろうと思う。

2008年10月5日日曜日

天満宮参拝と繁昌亭へ

本日は生憎の雨ふりであったが、午前10時に大阪天満宮を参拝して、隣にある天満天神『繁昌亭』へ、初めて聞きに行った。 
この『繁昌亭』のことが、石柱に次のように刻まれていた。「上方落語の始まりは、1700年頃、京都に露の五郎衛、大阪に米沢彦八が現れ、神社の境内などでおもしろい咄を聞かせ見せた。これらは「辻ばなし」とも言われ、ここが出発点とされる。一時的にすたれるが、1800年頃、大阪坐摩(ざま)神社で桂文治が小屋掛けの常打ちの寄席をはじめ、以来各地で落語専門の常打ちの小屋ができる。1900年頃、上方落語は隆盛を誇るも第二次世界大戦で大阪が焦土と化し、すべて定席を失う。 2006年9月15日、多くの上方落語を愛する篤志の皆様の浄財で、大阪天満宮、天神橋筋商店街のご協力により、1957年上方落語協会結成以来の積年の夢であった定席が、明治から昭和にかけて、天満八軒と呼ばれた、上方落語に縁の深い、ここに建立され、上方落語定席が61年振りに復活した。 4500を超える方々の厚志に応えるべく、さらなる上方落語の隆盛を誓う。 社団法人 上方落語協会」
本日早朝の部は、露の団姫、笑福亭由瓶、桂文華、笑福亭二福の5名の落語・演芸があった。 落語は「ふぐなべ」、「タイコたたき」等の小話、演芸ではコマ回しだったが、結構オモロイ。 また、機会をみつけて聞きに行こう。 早朝ということで6割程度の入りだったが、午後は満席(補助椅子も入れて)と書かれていた。 よくはやっているらしい、結構なことだ。