2017年2月28日火曜日

京都伏見・淀の河津桜

京都伏見の淀地域の淀水路沿いに超早咲きの「河津桜」や普通の「河津桜」があり見に出かけた。超早咲きの河津桜は満開であったが、他の桜はつぼみで、ちらほら咲いている程度、これからだった。あと1週間(3月7~8日)で満開になるだろう、また訪れてみよう。
ここは地域の名所にしようと、住民でつくる「淀さくらを育てる会」が静岡県発祥の河津桜を2002年から植樹しているところ。この植樹の取り組みは、水路のほか小学校や地域の公園にも広がり、現在は約240本を育てているとのこと。この超早咲きの「河津桜」をみると心も癒される思いだ。もうすぐ本格的な桜シーズンがやってくる、心もウキウキだぁ~~。

2017年2月27日月曜日

2/27(月)【虎ノ門ニュース】(2/26独立講演会の話あり)

真相深入り「虎ノ門ニュース」、昨日(26日)神戸芸術センター芸術劇場の「独立講演会」での話も出てくるので掲載(YouTubeより共有) したが、最近(3/20時点)取り消されている。
この真相深入りニュースは、月曜日から金曜日までの午前8時から10時までYouTubeで無料公開されている。 このニュースはいつでもYouTubeでみることが出来る。

2017年2月26日日曜日

第62回「独立講演会」に参加


神戸芸術センターの芸術劇場で第62回「独立講演会」(主催:独立総合研究所)に初めて参加した。参加者は小学生から学生、後期高齢者までざぁ~とみて約800名か(内女性は約20%か)で、改めて人気の凄さを知った。
もう62回も行われていて、東京と大阪(神戸)を交互に開催されている。講師はもちろん青山繁晴参議院議員。午後2時半から7時までの4時間半の講演で、まず、前段の諸々の話があり、その後参加者の事前の質問(申し込み時での事前質問、従来は当日質問を受ける形式が改まった)に対する解説であった。
その質問の集計では、まず①青山さん個人の生き方などのこと、②中国・韓国の情勢、③拉致問題の現状と今後、④教育について、⑤メタンハイドレートの現状と今後、⑥トランプ大統領の動向と今後、⑦反日メデイアについて、⑧天皇陛下の譲位などであった。これらについて深く掘り下げ、真相をわかりやすく解説した内容で、虎ノ門ニュースで聞いていることも、またオフレコの話も多く大変参考になった。ここでの記述は省略するが、改めて青山さんの凄いパワー(解説能力、知力、体力、精神力など)を痛感した。上の写真は神戸芸術センター、下が講演会に参加の皆さん(YouTubeの虎ノ門ニュースの「トラ撮り」からGet)

2017年2月24日金曜日

「壬生寺本堂・狂言堂」

島原を散策後、北へ徒歩約10分にある「壬生寺本堂・狂言堂」を訪ねた。この本堂には本尊延命地蔵菩薩立像(重要文化財)、列仙図屏風(長谷川等伯筆・重要文化財)などあり、説明を受けて見物した。仏像については、あまり関心がないので、よいのかどうかよく分からなかったなぁ…。また、大念仏堂(狂言堂)では能舞台にない「飛び込み」「獣台」など特異な構造や壬生狂言の衣装や小道具、面も公開されていた。この舞台で演じられることなど分かったし、まだ一度も見たことのない「能狂言」(重要無形民俗文化財)なので見てみたい~。春の公開は4月29日~5月5日午後1時から行われるのでこようか~!
この壬生寺は991年、園城寺(三井寺)の快賢僧都によって創建された古いお寺。昭和37年(1962)、本堂を全焼し本尊地蔵菩薩像を含む多数の寺宝を失った。が、新しい本尊延命地蔵菩薩立像(重要文化財)が、唐招提寺から移されて、昭和45年(1970)に本堂の落慶法要が行われ今日に至っている。そのため本堂はまだまだ綺麗だった。この壬生寺は、「壬生狂言」と新選組ゆかりの寺として有名で、境内の壬生塚には新選組隊士の墓塔があった。

京都「島原」界隈

JR山陰本線の丹波口駅で下車して、島原「角屋」を拝観後、初めて島原界隈を散策してみた。
この島原は丹波口駅前にある中央卸売市場の南側一帯にある。よく江戸の吉原と比較される京の島原は、江戸時代に六条三筋町(現在の東本願寺の北側あたり)と呼ばれた遊郭が前身で、1641年に現在の場所に移されてきた。その移転騒動が島原の乱と同じようなことから島原と呼ばれるようになった、というのが現在もっとも定着している説とのこと。 一般には「島原遊郭」のほうがなじみがあるような気がするが、関係者は遊郭と呼ばれることを嫌うそうで、一応公称では「花街」(かがい)と言うことになっている。それは和歌や俳句、能楽、歌舞伎など文芸を研鑽する場所とする向きが強く、文化の中心としてあくまで「芸」を売っていた、という自負のようなものがあるからだそうである。しかし、最高位であった太夫(たゆう、遊宴のもてなしを公認された女性)を頂点に、当然芸妓にも上下に序列化された位階制があり娼妓もいたらしい。
島原はその歴史も古いが、衰退するのも早く、明治以降は祇園や七条新地など新興の遊里に客を奪われ、衰退の一途をたどり1977年(昭和52年)にはお茶屋組合も解散となった。その後は普通の住宅地となって、すっかり観光名所となってしまった島原大門、置屋「輪違屋」、島原西門、それと「角屋」が当時のまま残っている。
今回、この島原大門、置屋「輪違屋」、島原西門を中心に当時の様子を想像しながらみて回った。改めて島原のことなど、その歴史を知ることが出来た。
写真の上が島原大門、中が「輪違屋」(ここは内部の見学は不可で外観のみ)、島原西門の住吉神社・石碑。


京の冬の旅「島原角屋」

「京の冬の旅」非公開文化特別公開(14ケ所)が1月7日から3月18日(土)まで行われていて、今回「島原角屋」と「壬生寺本堂・狂言堂」を拝観した。
門をくぐると新選組の刀傷が、また一階は台所及び居住部分がそのままの形で展示されていた。この一階の室内は、明るくするため多くのロウソクの燭台や灯油の行光が用いられ、油煙で天井や襖など室内が真っ黒で趣があった。今回、二階は非公開で見られなくて残念だった。この角屋は、揚屋として明治5年(1872)まで営業し、それ以降は茶屋業として昭和60年まで「松の間」にて宴会業務を行っていたとのこと。この「松の間」は、勤王派の久坂玄瑞や西郷隆盛、坂本龍馬などの密談にも使われたとのこと。また、新選組40数名の大宴会(1863年9月18日)が行われ、初代筆頭局長の芹澤鴨は泥酔になり、深夜屯所の八木邸で暗殺されるという歴史ある部屋でもある。そこから眺める「臥龍松の庭」(京都市指定名勝、下の写真の左下)は大変よかったヽ(;▽;)ノ 
この角屋は、島原開設当初(1641年頃)から連綿と建物・家督を維持しつづけ、江戸期の饗宴・もてなしの文化の場である揚屋(あげや)建築の唯一の遺構として、昭和27年(1952)に国の重要文化財に指定された。角屋は遊廓の店ではなく、今の料亭にあたる揚屋(あげや)という業種の店で、太夫や芸妓を抱えず、置屋から派遣してもらって、お客様に歌舞音曲の遊宴を楽しんでいくところ。揚屋は江戸時代、民間最大の宴会場で、遊宴のみならず、お茶会や句会なども行われ、文化サロンとしての役割も果たしていた。そのため、揚屋建築は、大座敷に面した広庭に必ず茶席を設け、庫裏と同規模の台所を備えていることを特徴としていた。江戸初期から中期までの揚屋は、間口が狭く、奥行きのある小規模の建物であったため、一階を台所および居住部分とし、二階を主たる座敷としていた。その二階へお客様を揚げることから「揚屋」と呼ぶようになったとのこと。

2017年2月16日木曜日

大阪城の梅林公園

大阪城の梅林公園の梅花も咲きはじめ、天気もよく暖かな日なので出かけてみた。全体的には5分咲き程度であるが、春先を感じる梅の花を求めてカメラマンや見物客、絵画教室の人たち、海外観光客など多くの人が訪れていた。満開にはもう少し時間がかかるようで、見頃は今月末~3月初旬か、満開の時期にはもう一度訪れてみたいものだ!
この園は大阪万縛の2年後1972年に北野高校同窓会から22種880本を寄贈されたのを機会に1947年3月に開園された。現在では97品種1240本を数える規模になっており、品種の豊富さでは関西随一の梅園。大阪城をバックに、またツインタワーなどの高層ビル群をバックに梅林を見るのもよいヽ(・∀・)ノ

2017年2月15日水曜日

「京セラ本社」の施設見学

京都市南区にある京セラ本社(京都国際見本市の南側)の1Fの「京セラ美術館」と2Fのショールームと「京セラファインセラミック館」を見学した。
「京セラ美術館」は社会貢献活動の一環として、地域文化の発展を願い、1998年10月に本社ビルの1階にオープン。ここでは、主に乾降ガラス(けんりゅうガラス:中国・清代乾隆帝の時代のガラス器のこと)、ピカソ銅板画347シリーズ、現代日本画、ファインセラミック茶器・花瓶、彫刻、洋画が展示されていた。展示点数は少ないが、現代日本画やファインセラミック茶器・花瓶に興味を持った。
「京セラファインセラミック館」は、京セラが取り組む文化事業の一環として、同じく1998年10月に本社ビル2階にオープン。ファインセラミックスを学ぶ学生や研究者はもとより、広く一般の人に理解を深めてもらうことを願い、創業以来のファインセラミック技術の発展過程やつくり方などが公開されていた。ファインセラミックスの基礎的なことやその特性などを学ぶことが出来た。
ショールームでは、京セラが取り組んでいる「環境・エネルギー」「自動車関連」「通信・ネットワーク関連」「生活文化・医療」「産業機器・その他」の分野における最新製品やサービスを分かりやすく展示されていて、改めて京セラの広範囲な取り組みとその製品を知ることが出来た。ヽ(;▽;)ノ

2017年2月11日土曜日

琵琶湖一周

今季一番の寒気到来で滋賀県北部に大雪警報が発令されていたが、雪景色をみようと一区間切符を買って2年振りに近江塩津駅で乗り換える琵琶湖一周をした。その概略行程は京阪東福寺駅でJRに乗り換え、山科駅まで切符(200円)を買って乗車→京都駅9時48分発近江今津行(普通は敦賀行き快速電車であるが、大雪の影響で列車を乗り換え)に乗車→11時01分に近江塩津駅着→次の12時5分発までの1時間程は、ホームや近江塩津駅を降りて雪景色をみて撮影→12時5分発米原行きに乗車→米原で網干行に乗り換えて→13時35分に大津駅で一旦改札口を出て昼食後、東福寺駅までの切符(240円)を買って帰った
JR湖西線に入り大津京から北へ進むにつれて積雪量も増え、近江塩津に着くと40~50cmの積雪で、吹雪の世界だった。

2017年2月9日木曜日

「桂離宮」参観

1カ月程前にインターネットから申し込み、初めて「桂離宮」を参観した。この日は生憎の雨からみぞれに、そして雪に変わるという気候で傘をさしての参観だった。参観は外人さんも含めて34名、宮内庁関連の職員の案内で約60分回遊式庭園をみて回った。日本最古である回遊式庭園には、桂川の水を引いた池を中心に、茶屋、築山、州浜、橋、石灯篭などを配してある素晴らしいもの。建造物は書院群と池の周囲に散在する御茶屋群で構成されていて、ほぼ創建当時のままの姿を残している稀有な建物で、見応えがあった。今回は冬場であったが、新緑や紅葉の時期ににも是非訪れてみたい~ヽ(;▽;)ノ
パンフレットによれば桂離宮は、江戸時代の初期17世紀に皇族の八条宮の別邸として創設された建築群と庭園からなる。もともとは藤原道長の山荘・桂家があった場所に1590年創設された宮家の八条家の初代智仁親王(初代八条宮)が1615年造営に着手し、約47年後の智忠親王(2代)の代にほぼ完成した別荘である。造営が始まってから400年以上の間、一度も火災に遭っていない。ところどころ修繕を行っているが、ほぼ創建当時のままの姿を残している稀有な建物で、当時の朝廷文化の粋を今にそのまま伝えている。回遊式の庭園は日本庭園の傑作とされていて、建築物のうち書院は書院造を基調に数寄屋風を採り入れている。 庭園には茶屋も配されていて、敷地面積は全部で約6万9400平方メートル。うち庭園部分は約5万8千平方メートルもある。 離宮とは皇居とは別に設けた宮殿の意であるが「桂離宮」と称するのは明治16年(1883年)から。桂離宮が世界中で知られるようになったのは1930年代に来日したドイツ人建築家ブルーノ・タウトが「日本建築の世界的奇跡」と絶賛した時からとのこと。

2017年2月3日金曜日

「成田不動尊」節分祭

「成田不動尊」の恒例の節分祭に出かけた。
境内に全長約150Mの豆まき舞台を設け、中央には日本一の大きさを誇る「千升大福枡」が設置され、開運厄除けとともに交通安全を祈る豆まき式が行われた。多くの参拝客で境内が埋め尽くされた。第1回目の豆まきは、11時前から交通関係諸団体・関西政財界人・有名芸能人(NHK連続テレビ小説の「べっぴんさん」の主役の芳根京子さんや谷村美月・百田夏菜子・土村芳さん、桂福團治・ぼんち おさむ・宮川大助・花子さん、京阪電車CMキャラクターのおけいはんの林真帆さんや京都の芸妓・舞妓さんなど)により豆(落花生)が「福は内」~「福は内」~の掛け声でまかれた。華やいだ豆まきだった。新聞の情報では、最前列の人たちは朝の3時頃から並んだ人たちとのこと。いつもながらすごい人だった。午後からは2回目の豆まきに大関豪栄道も来る予定が、初場所のケガのため不参加。3年前の午後にハッピを着て特設の舞台から豆まきを楽しんだことがあるが、初穂料が3,000円もかかるので節約して今回はやめ、その代わりとして「福豆」(500円)を4袋買って帰った。