2016年8月27日土曜日

映画「後妻業の女」

大阪を主な舞台に、中高年の婚活の危うい一面をサスペンスと笑いを交えて描いた映画「後妻業の女」が、本日全国公開され朝一番(9時45分~上映)にみに出かけた。
あらすじは、「武内小夜子、63歳、好きなことは読書と夜空を見上げること…わたし、尽くすタイプやと思います」結婚相談所主催のパーティで可愛らしく自己紹介する小夜子(大竹しのぶ)の魅力に男たちはイチコロだった。 実は裕福で孤独な高齢者を色香で惑わせて後妻になり、その財産を奪う「後妻業」のエースだった。 裏で手を引く結婚相談所所長の柏木(豊川悦司)のもくろみ通り、小夜子は80歳になる中瀬耕造(津川雅彦)の後妻におさまった。二人は惹かれあい幸せな夫婦生活を送っていた、はずだったが・・・、2年後耕造は亡くなり、葬式の場で耕造の娘・朋美(尾野真千子)と尚子(長谷川京子)は、小夜子から遺言公正証書を突き付けられ、小夜子が全財産を相続する事実を言い渡される。納得の行かない朋美が調査をすると、衝撃の事実が発覚。小夜子は、後妻に入り財産を奪う『後妻業の女』だったのだ。(後は省略)
主なキャスターは関西出身(豊川悦司、笑福亭鶴瓶、水川あさみ、奈良県:尾野真千子、京都:津川雅彦など)でロケも大阪各地で行われた。中之島を周遊する遊覧船で婚活パーティーの画面、通天閣の見える駐車場や大阪城のみえる喫茶店などが撮影されていた。 みものは何と言っても悪女を演じた小夜子役の大竹さんの演技や大阪弁で、さすがにうまいなぁ~と感心。また、中高年の婚活の危うい一面をサスペンスと笑いを交えて描いた映画であり、面白くてよかった。

2016年8月22日月曜日

オリンピックリオ大会閉会式

第31回オリンピック競技会リオデジャネイロ大会は2016年8月21日、ブラジル・リオデジャネイロ市のマラカナン競技場で閉会式が行われた。南米で初開催となるリオを中心に繰り広げられた17日間の祭典は、日本選手のメダル最多の41個(金12、銀8、銅21)で、日本中に大きな感動と勇気を与えて無事に幕を閉じた。次回大会は、東京で2020年7月24日から開かれる。この大会に世界3位(今回6位)のメダル数を取るとの目標とのこと、大いに期待したい。 約2年前に東京にオリンピックが決まり、我々多くの高齢者の人は何とかオリンピックまで元気に健康で長生き(目標に)してオリンピックをみたいと思われたが、我自身もそう思いで今日まで来た。さあ~~あと4年もう少しだ。何とか健康に十分留意して元気で、是非とも開会式を国立競技場に見に行きたいなぁ~~。それ以外に体操、卓球、レスリングもみたい~と思う。 頑張ろう!!
YouTubeの【NHKリオ】2020へ期待高まる!トーキョーショーをhttps://youtu.be/sk6uU8gb8PA リンク投稿。概要は「五輪閉会式で披露された2020年の東京大会プレゼンテーションをノーカットで、クリエーティブ スーパーバイザーと音楽監督は椎名林檎さん、総合演出と演舞振付はMIKIKOさん。青森大学男子新体操部のダイナミックな演技も必見!」とのこと。

2016年8月21日日曜日

2016天神天満阿波踊り

天神天満阿波踊り実行委員会、天神橋商店連合会、関西阿波踊り協会の主催のもとに行われ(今回で2回目?)、暑い暑い中出かけた。
関西阿波踊り協会に加盟している11連が、AグループとBグループに分かれて、AグループはJR天満駅から14:30~扇町総合高校吹奏楽部オーキーズのオープニングパレード、続いて神戸ちるど連→にしき連→姫路・城東連→なにわ連→大阪天水連が、またBグループは、同時刻に天神橋筋商店街3丁目南側から南大阪連→深雪連→てんばらみとら連→神戸六甲山連→河内連→神戸楠公連による商店街の流し踊りが南方向に行われた。また、阿波踊り教室に参加者による天神天満連も3丁目南側から流し踊りがあったようだ。(パンフレットに記載あり)
その後、16時40分からは天満宮の境内にて9つの連の演舞があったが暑くて暑さに負けて早く帰宅した。今回、関西阿波おどり協会所属連の踊り子と鳴り物、総勢約360名による流し踊りだったが、繊細な鉦の音色や、威勢のいい迫力ある男踊り、元気と笑顔いっぱいの踊りを魅せるちびっ子達などで、天神橋筋商店街は熱気に包まれていた。 
昔、所属の「なにわ連」の踊りも久しぶりに見ることができて、格好もよくてすご~く踊ってみたいなぁ~~~と。 しかし、気力は十分だが、この暑さでなくても体力が踊り(10~15分の踊り)についていけないからもう無理だなぁ~諦めるしかないかね。
関西阿波踊り協会の天満宮境内での各連の踊り https://youtu.be/VhbHs7vBStA

2016年8月18日木曜日

世界報道写真展2016

ハービスOSAKA地下2階のハービスHALLにて、「世界報道写真展2013」が9日から18日まで行われ、最終日に見に出かけた。
この写真展は、世界中の報道カメラマンを対象にオランダで実施される「世界報道写真コンテスト」の受賞作を紹介するもの。今年は128の国と6千人近いプロの写真家から、合計8万点の作品が応募され、41人がコンテストでの入賞を果たした。コンテストの部門は全部で8つ(スポットニュース、一般ニュース、スポーツ、現代社会の問題、長期取材、自然、日常生活、人々)。 それぞれの部門で「単写真(写真1枚)」と「組写真(複数の写真で構成)」に分かれて選ばれた。約150点の入選作があったなかで、今回は各部門の単写真、組み写真の1位から3位までが展示(総62パネル)されていた。
入賞の中から、その年の最も優れた写真1点に対しては「世界報道写真大賞」が贈られた。それは、スポットニュースの部の単写真1位のウォーレン・リチャードソン氏(オーストラリア)。2015年8月28日 レスケ(ハンガリー南部)にてセルビアとハンガリーの国境を越えようとするシリア難民の男性と子どもが、国境の有刺鉄線付きフェンスができあがる前に、ハンガリー側へ渡ろうとする瞬間を、警備員に見つからないように月明かりの下で撮られたもの。緊迫した様子が伝わってくるという写真だった。(上のチラシの写真)
今回、世界で起こっている様々な事件や出来事の写真を見ることが出来た。 隣のブースでは、昨年と同様東北大震災の写真が展示されていた。

2016年8月14日日曜日

日野「火ふり祭り」


毎年8月14日・15日に盆の夜空を彩る近江日野町の夏の風物詩「火ふり祭り」が行われ昨年に続いて見物。 
これは日野祭のお旅所である上野田の通称「ひばり野」(松の木などが数本あるこじんまりとした公園、ここに武将「蒲生氏郷像」もある)で古くから行われている祭。上野田(こうずけだ)の氏神、五社(ごしゃ)神社で、町内の人たち百数十人が松明(竹材とわらで作った2.5~3mのもの)に火をつけ、 その年の日野祭のお稚児さん3人を中心に松明の行列が、午後7時半から「ひば り野」(約2km)へ向かう。
「ひばり野」へ午後8時頃に到着後(松明の長さがちょうど投げられる程の長さになる)、太鼓の合図とともに百数十本の松明が一斉に松の木に投げ上げられる。 枝に留まると大きな歓声があがり、松の木に松明が多く溜まれば、その年は豊作といわれる、勇壮なお祭。今年も多くの松明が溜まっていたので豊作か?
8月14日・15日のお盆の時期に行われるこの祭りは日野町各地で行われている盆行事の精霊火が転化したものと考えられている。 
ずいぶん昔、幼少~小学生のころはよく母親の里のお盆に連れられて、「ひばり野」の前にある親戚の2階の特等席でみたことが、改めて懐かしく思い出された。(下の写真は日野観光協会の写真を借用)

2016年8月10日水曜日

北海道旅行最終日


小樽の山麓にある「かんぽの宿小樽」で宿泊し、朝5時に起床して宿から5分にある朝里川の湖畔散策を約30分楽しんだ。気温もちょうど良く清々しくて、気持ちよかったヽ(;▽;)ノ
最終日で飛行機が15時発で、手荷物預けの待ち時間、昼食・お土産を買う時間も考えるとほとんど観光時間がなく、小樽運河観光のみにした。9時頃に着いて、まず観光写真によく出ている小樽運河を約50分散策した。
ここは、北海道開拓の玄関口として発展してきた。当時は大きな船を沖に泊め、はしけ(台船)を使って荷揚げしていたが、取り扱う荷量が多くなり、はしけが直接倉庫の近くまで入って行ける水路を作った。これが「小樽運河」である。
この小樽運河は、大正12年に完成し、内陸を掘り込んだ運河ではなく、海岸の沖合いを埋立てて造られたため、直線ではなく緩やかに湾曲しているのが特徴となっている。しかし、時代が変わり戦後になると、港の埠頭岸壁の整備により、その使命は終わりを告げることとなる。昭和61年、運河は、十数年に及んだ埋立てを巡る論争の末に一部を埋立て、幅の半分が道路となり、散策路や街園が整備された現在の姿に生まれ変わった。運河の全長は1140mで、幅は道に沿った部分が20m。散策路には63基のガス灯が設置され、運河沿いの石造倉庫群は当時の姿のまま残されておりレストランなどに再利用されている。夕暮れ時には、ガス灯がともるとともに石造倉庫群がライトアップされ、昼間とは違った雰囲気を演出している。(関連資料から抜粋)
今回、朝のため倉庫内の店も開いておらず周辺の散策のみだったが、こういうところだと納得してよかったなぁ~ヽ(;▽;)ノ 
その後、オリエンタルのへレンタルカー千歳店へ、新千歳空港に11時半過ぎに到着し、昼食・お土産の買物。15時発のANA984で、大阪伊丹空港には予定通り16時55分無事に到着。
今回は次女家族との旅行で、幼児の世話でいろいろと大変なこともあったが、無事に帰宅することができたし、思い出に残るよい旅行だった。

2016年8月9日火曜日

北海道旅行3日(札幌)

8日は定山渓温泉「鹿の湯(花のもみじ)」に宿泊。ここは「札幌の奥座敷」とも呼ばれていて、札幌市の中央部を流れる豊平川上流の山峡にある北海道の代表的な温泉である。古くアイヌに知られ、江戸時代には通行した和人が入り、1866年に美泉定山と言う人が温泉宿を開いた。1918年に定山渓鉄道線が通ったことで発展した。札幌の至近にある温泉で、市内の人々のほか、札幌観光の一環として多くの道外や外国からの観光客が利用している。この日も中国・台湾などからの客で賑わっていた。翌日の朝に温泉街の散策をしたかったが、疲れて起床が遅くなりできなかったことが、ザンネンだった。
札幌市内観光をどうするか? 明日は午後3時の飛行機なので小樽市内観光をしたいが時間がない。そのため札幌は一箇所に絞って「モエレ沼公園」で遊んでから小樽市の堺本町通りの商店街に行ってみた。
まず、モエレ沼公園は、札幌市の市街地を公園や緑地の帯で包み込もうという「環状グリーンベルト構想」における拠点公園として計画された総合公園。1982(昭和57)年に着工し、2005(平成17)年に グランドオープンした。基本設計は世界的に著名な彫刻家イサム・ノグチが手がけ、「全体をひとつの彫刻作品とする」というコンセプトのもとに造成が進められた。広大な敷地には幾何学形態を多用した山や噴水、遊具などの施設が整然と配置されており、自然とアートが融合した美しい景観を楽しむことができた。広大な公園で子どもたちが自由に遊び楽しめる公園で、レンタル自転車で回ってみた。台風5号の影響か風が少し強く吹いていたが、涼しくてサイクリングを楽しむことができて子どもたちも喜んでいた。(上の写真)
その後、小樽市に移動し、堺本町通りの商店街(上から3枚目写真)を散策しながらルタオの原点である本店に(下の写真)。オープン以来毎日手づくりのケーキを作り続けているところで、今回2Fカフェでこだわりの紅茶と一緒に手づくりのケーキを楽しんだ。人気があるだけにやはり美味しいケーキだったなぁ~。
その後、宿泊の「かんぽの宿小樽」へ。




2016年8月8日月曜日

北海道旅行2日(旭山動物園)

日本最北の動物園の旭山動物園へ。2009年2月公開の「旭山動物園物語」をみてから一度訪れたいと思っていたのが実現。この日は朝から台風5号の影響か、朝から少し蒸し暑く日中は、すごく暑く(33~4℃)て、子どもたちも暑さと混雑でうんざりだった。
ここは、動物にとって快適な空間を作り出し、動物が本来持っている生態・行動を引き出して見てもらうという「行動展示」の手法で、一躍全国的に有名になり、月間入場者数で東京の上野動物園を抜くなど、超人気の動物園である。この日も夏休みでたくさんの子どもたちで混雑していた。
マリンウェイと呼ばれる水中トンネルを泳いで上下する姿が見られる「あざらし館」、モグモグタイムには地上17mでの空中散歩(綱渡り)が見られる「おらんうーたん館」、ヒョウの昼寝が頭上に見える、ライオン・トラ・ヒョウなどが間近に見られる「もうじゅう館」、巨大遊具で自由に遊ぶ姿が見られる「チンパンジーの森」、樹上生活者としての習性が引き出され上手な木登りを見ることができる「レッサーパンダの吊り橋」など約2時間にわたって見て回った。が、暑さの影響かあまり動かずじっとしている動物が多かった。
その後、美瑛のレストラン「花七曜」でランチし、国道237号線沿いの上富良野町と美瑛町の境界にある丘の農園「かんのファーム」(7年前にツアーで訪れたところで2回目)で、ラベンダーの他、数10種類の花々の丘をみながら少し散策。 ここで3時過ぎになり、宿泊の札幌定山渓温泉「鹿の湯(花もみじ)」へ到着したのは、午後7時半になって、長距離で結構疲れてしまい┐(´∀`)┌ヤレヤレだった。

2016年8月7日日曜日

北海道旅行初日(旭川市)

7日(日)から10日(水)まで次女家族(夫婦・もうすぐ2歳と4歳になる孫娘)と北海道旅行。主な行先は旭山動物園、上富良野の「かんのファーム」、札幌市のモエレ沼公園、小樽市堺町本町通り、小樽運河などの観光。
初日は大阪伊丹空港発11時10分発A773便にて新千歳空港へ。大阪伊丹空港に10時に到着したが、手荷物の手続き(荷物検査)に長蛇の列で搭乗出来たのは出発の5分前、その後、まだ30名の未搭乗者が出て約20分遅れの出発だった。夏休みの影響もあり空港内はごった返ししていた。
新千歳空港に到着後、オリックスレンタカー新千歳空港店へ送迎バス(約10分)で移動し、ミニバンワゴンをレンタル(運転:娘婿)。14時半、ここから旭川に向けて出発、途中千歳航空祭で大渋滞、また途中、幼児のトイレ休憩や車酔もあって予定より大幅に遅れて6時半に宿泊の「アートホテルズ旭川」に到着。(上の写真) 夕食は6日にオープンした最上階15階にあるワンフロアまるごと270度パノラマビューを望む「北海道スカイテラス MINORI(ミノリ)」にてバイキング。まだ、オープンして2日目で内部は大変綺麗で、料理の種類も多くて美味しかったよ!(中の写真)
当日、ホテル近辺の散策ができなかったので、翌日朝6時半から約12~3分のJR旭川駅まで散策。その後駅構内をみてから駅前の平和通り(両側に樹木が植えられた買物公園で、両側にはいろんな店屋が並びちょっとした憩いの場、下の写真で正面が旭川駅)を散策した。約30分の散策だったが、道路も広いし緑も多いよいところだと感じた。

2016年8月2日火曜日

ポケモン探し

2~3日前の朝日新聞に、大阪北区の扇町公園にはポケモンが多く、また変わった種類のポケポンが出現、多くの人たちが集まってGETしているとのことが掲載された。
そのこともあってポケモン探しに扇町公園に出掛けてみた。京阪北浜駅から北に向かって扇町公園まで約30分、暑い中ウオーキングの途中スマホの電池切れやトレーナーが動かない、何らかの原因でAPPがダウンしたりでスマホの調子が悪く? 結果的には一匹もGETできなかった。扇町公園に着くと木陰のいたるところで、ポケモンGOをする人たちが多く集まっていた。やはり情報通りポケモンが出現してGETできるポイントになっているようだった。
今回はスマホの電池切れなどもあってGETできなかったのが残念だった。が、乗車の京阪牧野駅で6匹GETできたのはよかったなぁ~。
そのあと、天神橋商店街を歩いて「繁昌亭」の方から境内に入り大阪天満宮に参拝。参拝後正門左に曲がって斜向いにある料亭「相生楼」の門前に『川端康成生誕之地』と記された石碑がひっそりと建っていた。ここで生まれたということを初めて知った。
日本人初のノーベル文学賞を受賞し、「伊豆の踊り子」「雪国」「古都」などの作品で知られる川端康成は、明治32年(1899)6月14日、大阪市北区此花町1丁目79番地(現在の北区天神橋1)で生まれた。康成の父で医師だった栄吉はこの地で開業していたのだが、しかし結核を患い、明治34年(1901)に死去。翌年、母・ゲンも亡くなり、康成は姉と共に祖父母に引きとられ、大阪府三島郡豊川村(現在の茨木市)に移り住んだ。その後、康成は茨木中学校から東京の第一高等学校、東京帝国大学へ進み、文壇で活躍するが1974年4月16日に死去。1985年には茨木市に川端康成文学館が開館し、いまも多くのファンが訪れている。機会をつくって訪れてみたい。