2016年12月31日土曜日

有難うございました

ブログ「E(え)ちゃんの気ままな日記」をご覧いただいている皆様へ
今年も余すところ数時間となりましたが、いつもこのブログを見ていただき、誠に有難うございます🙏  
まじめな文面?で、あまり面白味がないかなぁ~~(笑)と思いながら投稿してきましたが、このブログを2008年に開設して以来、過去最高の124件(昨年120件、平均3日に1件)の投稿をすることができました🙆
これもひとえにご覧いただいている皆様の励ましもあったことも大きかったと改めて厚くお礼申し上げます。有難うございました 🙏
来年も引き続きよろしくお願い申し上げます🙍 

2016年12月30日金曜日

レトロな日野駅舎

 近江鉄道日野駅は1916年に建てられ(初代の駅は1900年、現駅が1916年で二代目)、今年で100年を迎え、現存する木造駅で100年を越える数少ない駅のひとつ。その味わい深いレトロな駅は、映画のロケやテレビ放映でも多く使われ、住民と鉄道ファンからこよなく愛されているという。しかし、長い年月によって老朽化がすすみ、このままいけば簡単な駅に建て替えが余儀なくされ、なつかしさや愛着のある駅が消えてしまうため、まちのシンボルである駅の存続に危機感を抱いた日野町と地元住民が、寄付金を募る「近江鉄道日野駅再生プロジェクト」を立ち上げ、近江鉄道に協力を呼びかけて、再生修復工事をおこない、今の姿を100年先の後世に残そうというもの。今の駅舎を今のままの姿に再生する工法となり、具体的には昭和49年の日野駅の写真をモデルにするという。工事の完了予定日は平成29年9月頃で、約4千万円の目標で寄付金の募集が今月から始まった。
本日、改めて駅舎やホームの待合などを見ると昔々彦根に通学していた当時から約50数年殆ど変わっていなくて、あっちやこっちに相当な傷みもあり老朽化が進み、何かみすぼらしい状態になっている。この駅から通勤・通学や多くの中学・高校卒業後、関東や関西の企業に就職した出発駅でもあり、また帰省時の玄関口でもあり懐かしい。今は車であるため利用することは殆どないが、懐かしい駅舎として残して欲しいと、この日野駅再生プロジェクトに参加(寄付)することにした。

2016年12月29日木曜日

禅寺・円福寺

京都府八幡市、大阪府枚方市にまたがって三万坪を数える敷地にある禅寺・円福寺は、山門・本堂・庫裡・禅堂・有栖川宮旧御殿等多くの建物が甍を連ね、洛南の一大道場として雲水(修行僧)衆が日夜坐禅托鉢等に精進している禅寺。その禅寺・円福寺で12月18日に高さ約15メートルのイチョウの大木2本に修行僧がはしごをかけて登り、束にしたダイコンをロープで引き上げ、枝にかけた行事が行われた。このダイコンは修行僧らが托鉢して歩き、農家などから集めた約1200本。冬の冷気に1月中旬ごろまでさらし、漬けものに。修行僧の毎日の食事のほか、年2回の「万人講」で振る舞われるという。特に変わった年度行事ではないが、イチョウの大木にかけて干すのはちょっと面白いし、変わった風景で新聞でも報道された。
ここ円福寺は1783年3月に臨済宗最初の専門道場(江湖道場)として建立された。
 京セラ創業者稲盛和夫さんがこの臨済宗妙心寺派の円福寺で、西片擔雪(たんせつ)さんというご老師の導きで、得度をされ仏門に入られたことでも名が知れている。

2016年12月25日日曜日

第61回「報道展」

関西写真記者協会(加盟77社、カメラマン1100名所属の協会)の第61回「新聞・通信・テレビ・ニュース報道展」が阪神百貨店梅田本店8階に開催されているので立ち寄ってみた。
この展示は、関西写真記者協会所属のカメラマンの1年間の集大成として、 今年中に放映された放送ニュースや紙面掲載された新聞写真から選考された作品を上映・展示し「この1年」を振り返る報道展である。  歳末に「この一年」を振り返る師走恒例の報道カメラマンによる写真、映像作品展として毎回好評を得て行われている。
会場には、今年の出来事の写真が、新聞・通信の部とテレビ・ニュース映画の部の各部門毎(ニュース・ニュース組み・スポーツ・企画・撮影・新人の部門)に金賞・銀賞が選ばれて展示されていた。すでに見たことのある出来事の写真やまだ見たことのない写真もあった。また、撮ろうと思ってもなかなか撮れないようなすばらしい写真も多々あり、さすがにプロだと感じた。この1年を振り返りなが見て回った。
この展示会場内での写真撮影が禁止されており、残念ながらすばらしいと思うものを撮ることができず、外からのみの写真となった。

2016年12月24日土曜日

大阪・光の饗宴2016

大阪の中心を南北に走る御堂筋4kmを光で包みこむ「御堂筋イルミネーション」、水と光の際立つ中之島で開催される「OSAKA光のルネサンス」の2つを「コアプログラム」として展開されるもの。
御堂筋の南から北まで8ブロックに分けて、それぞれのエリアにあわせた色のイルミネーションがイチョウの幹に装飾し、「光の列柱」が続いていて綺麗で、難波から淀屋橋まで散策しながら楽しんだ。ヽ(;▽;)ノ 中之島中央公会堂ではプロジェクションマッピングをみた。

2016年12月23日金曜日

「1万人の第九」の放送

12月4日(日)にあった第34回「サントリー1万人の第九」が、23日(祝日)13時55分からMBS4から放送された。今回、渡辺直美さんのアップ顔で「1万人の第九 発見!理由ありクラッシク」としてスタート\(◎o◎)/!。
前半はクイズ方式で、例えばベートーヴェンは世界で始めてのコンサート活動をしたといわれているが、何故か?お金に困っていたからか?それとも女性にモテたかったからか?(答え:お金に困っていたから)。当時、音楽は王様や貴族のものだったから画期的な試みだった。しかし、第九の初演は大盛況だったのに彼は怒った、それは何故か?(答え:儲かった筈のお金が殆どなかったから)など。 ベートーヴェンのウソのようなホントの話が分かり面白い企画だった。後半の最後は第九演奏の様子で、その映像のどこかに微かに写っているだろうと探してみると、本当に微かに写っているのを発見。今回は、前から3列目49番の端だったので見つけやすかった。
これで、今年の第九も終わり、この1年を締めくくることが出来てよかったなぁ~(´▽`)

枚方駅前「TーSITE」

1983年、駅前に第1号店を開いたレンタル最大手のTSUTAYA創業者(枚方出身の増田宗昭社長)が同じ駅前に、代官山T-SITE、湘南T-SITEに次ぐ3店舗目の枚方T-SITEを今年5月16日オープンしてはや半年が過ぎた。 この場所には近鉄百貨店、その前のひらかた丸物が、またすぐ近くに三越百貨店、長崎屋などがあって、それなりに賑わっていたが時代の流れに乗れず撤退した場所となっていた。そのため枚方市駅前は寂れて、最近は新しくなった「くずはモール街」にお株を奪われてしまっていた。それがようやくこの枚方T-SITEで、活気を取り戻すようになって来ているようで、結構賑わっていた。今日は富山市在住の長女の孫娘と次女の孫娘2人、それに次女の婿と5人で、この枚方T-SITEの5階にある子ども遊びコーナーに出かけた。ここは0歳~3歳くらいまでの赤ちゃんを対象にしたあそび場であるが、次女の下の孫娘が2歳でその姉妹ということで入場が出来た。入場料は大人も子どもも1時間500円で、祝日の影響もあってか若い夫婦が幼児を連れてやおじいちゃんやおばあちゃんが孫を連れてが多く見受けられ賑わっていた。(写真は、まだ賑わっていない時間帯に撮影) いろいろな遊び道具が揃っており、若い係のおねいちゃんが一緒に遊んでくれたりする。孫娘は、特に大きなボールプールが気にいっていた。約1時間楽しく過ごせた(´▽`)

2016年12月11日日曜日

映画「海賊とよばれた男」

百田尚樹氏による歴史経済小説の映画化。出光興産創業者の故出光佐三氏のモデルとした主人公・国岡鐡造の一生と、出光興産をモデルにした国岡商店が大企業にまで成長する過程が描かれたもの。
映画のあらすじは、主要燃料が石炭だった当時から、石油の将来性を予感していた若き日の国岡鐡造(岡田准一)は、北九州・門司で石油業に乗り出すが、その前には国内の販売業者、欧米の石油会社(石油メジャー)など、常に様々な壁が立ちふさがり、行く手を阻んだ。しかし、鐡造はどんなに絶望的な状況でも決して諦めず、それまでの常識を覆す奇想天外な発想と、型破りの行動力、何よりも自らの店員(=部下)を大切にするその愛情で、新たな道を切り拓いていった。その鐡造の姿は、1945年(昭和20年)8月15日に戦争が終わったが、さらなる逆風にさらされても変わることはなかった。東京をはじめとした主要都市は徹底的に爆撃されて瓦礫の山となり、海外資産のすべてを失って莫大な賠償金が課せられようとしていた。これから日本はどうなっていくのだろうかと、全員が途方に暮れて失意に包まれているとき、わずかに残った店員を集めて、鐡造は「愚痴をやめよ、愚痴は泣きごとである。亡国の声である」「日本には三千年の歴史がある。戦争に負けたからと言って、大国民の誇りを失ってはならない。すべてを失おうとも、日本人がいるかぎり、この国は必ずや再び立ち上がる日が来る」と訓示を述べた。だが、失望から立ち直り武者震いする店員たちに、売るべき商品「石油」がそもそもないという現実が襲いかかる。「店主、このままでは、国岡商店は潰れます。涙を呑んで人員整理を」という進言に、鐡造は「馘首はならん!」と解雇を断固拒否する。戦後、住処も食糧事情もままならない情勢下で、日本の復興に向かって闘う男たちの物語が始まった。(以下省略)
この映画を見て田岡鐵造の時流を見つめた洞察力、判断力、揺るがない信念と愛情の生きかたに感動した。「店員は家族と同じ」という信念のもと厳しい状況にあっても決して諦めることなく、押し進めたことも立派だったと思う。主役の岡田准一さんが若き時代から最後の96歳までの田岡鐡造を演じたのは立派で、見応えのあるものだった。最後の96歳という年齢のメイクは、顔のシワやシミ、白髪など非常にリアルで、ここまで出来るのかと感心した。

2016年12月9日金曜日

月桂冠大倉記念館と黄桜

 伏見界隈を散策して月桂冠大倉記念館キザクラカッパカントリー(黄桜酒造)を見物した。
酒の資料館「月桂冠大倉記念館」は、入館料300円で同時にお土産で一本(一合)300円?の日本酒がもらえた。つまり無料で入れるという感じだった。資料館では、月桂冠の歴史や出来事、日本酒のつくり方の説明と道具が並べられており、日本酒のつくり方を改めて学んだ。
資料館を出たところには、伏見の水が湧き出ていて、お猪口で飲むことが出来た。無味でさっぱりとしていた。終わると試飲コーナーがあり、三種類の日本酒を試飲した。
ここ月桂冠は1637年(寛永14年)、初代・大倉治右衛門が京都府南部の笠置町(現在の相楽郡笠置町)から城下町、宿場町としてにぎわっていた京都伏見に出て来て創業。名前の由来は、ギリシャ神話に「太陽神アポロが怪蛇を退治し、月桂樹の葉をもって身を浄めた」とあるように、ヨーロッパでは、月桂樹は邪気を払う霊木として崇(あが)められてきた。1905年(明治38年)、勝利と栄光のシンボル「月桂冠」を商標登録し酒銘として使いはじめた。当時、自然や地名などをもとにした銘柄が多く用いられていた中で、ハイカラな酒銘として注目を浴びたとのこと。また、この名前は1910年(明治43年)に「コップ付き小びん」が当時の鉄道省で「駅売りの酒」として採用され、月桂冠が広く知られるきっかけになったとのこと。
キザクラカッパカントリー(黄桜酒造)では、河童資料館があり無料でみることが出来た。黄桜の歩みや酒作りの工程等や河童に関することが詳しく分かりやすく紹介されていたが、資料としては少なかった。
社長の話によれば「社歴が数百年ある老舗のひしめく伏見で黄桜が設立されたのは、1951年(昭和26年)で60数年前。 実は、清酒業界内では相当若い企業とのこと。業界内での後発メーカーという立場を活かし、「独創的な発想」と「斬新な行動」で、業界では先駆けて行ったテレビCMや、概念にとらわれない商品開発などでお客様の支持を得てきたとのこと。例えば、京都初の地ビールレストラン「カッパカントリー」や東京台場にミニ醸造所を作ったり、日本酒造りを体験できるコースを設けたり…このような地道な活動を続け、清酒ファンを1人でも増やしながら、お客様と共に文化を理解し、発展させていこうと努力している。」とのこと。なかなか日本酒作りの経営も難しいものだと思った。 

2016年12月4日日曜日

「サントリー1万人の第九」

 大阪師走の風物詩、第34回「サントリー1万人の第九」が行われ出演。指揮は佐渡裕さんで今回で18回目の総監督・指揮者。今回は、2000年12月(第18回)に始めてから16回目の出演。またこの「第九」は、大阪、札幌、東京(国技館)、広島、鳴門、香川などで合計が49回目となった。目標50回の出場まであと1回で達成できるまでになった。長い~~第九の歴史をまた一つ刻んだ。
オープニングとして女子高校生のボーカルグループ「Little Glee Monster」(リトル・グリー・モンスター)による「Seasons Of Lover~ミュージカル「RENT」より」の歌で開幕した。
第1部では、フランスの若きピアニスト、リュカ・ドゥバルグさんがピアノの美しい音色を奏でたほか、Little Glee Monsterがビートルズの名曲「ヘイ・ジュード」を合唱団と共に歌った。
第2部には、俳優佐々木蔵之介(48)さんが第九の第4楽章で合唱されるシラーの詩の日本語訳「歓喜に寄せて」を朗読した。毎日新聞によると『初体験に感激し、来年の登板も直訴した。佐々木さんは、10月に父で佐々木酒造会長の勝也さんを胃がんのため、83歳で亡くした。7月上旬に今回の朗読者に決まった際、病床の父が喜んでくれたという。「病室で看護師さんにも”息子が朗読やるんや”と話していた」と明かし、「残念ながら今日は見てもらえなかったが、(天国で)聞いて喜んでいると思う」としみじみと。自身も第九の大合唱を鑑賞中、「天上に光が立ち上るような気がして、ホールの天井を見上げた。父に届いている」と語った。』という。
 その後、ベートヴェン交響曲第九の演奏が始まった。ソリストは、ソプラノ:並河寿美、メゾソプラノ:谷口睦美、テノール:西村 悟、バリトン:キュウ・ウォン・ハンの各氏、合唱団は北は北海道・東北仙台、南は福岡・沖縄那覇などから、また海外からオーストリアから25名が、年齢は小学1年生から92歳までの1万人で歌い上げた。最後は「蛍の光」を全員で合唱し、また新たな感動のもと終了した。\(^o^)/  上の写真は東京「ゆうとう会」のメンバーとの記念写真。
これらは、MBSにて12月23日(水・祝日)13:55~14:52に「クラッシクは怖くない!」で放送される。