2016年3月4日金曜日

江崎記念館


江崎グリコのルーツが見られる「江崎記念館」を訪れた。この記念館はJR塚本駅から徒歩約15分にある江崎グリコ㈱本社構内にあり、1972年3月、創立50周年事業の一環」として、従業員に創業の志を伝え、社業の発展に寄与するために設立されたもの。
この記念館では創業者・故江崎利一氏(1882~1980)が故郷の佐賀県薬種業の長男に生まれたこと。1919年春(37歳)有明海で浜辺で漁師たちが中国に輸出するカキを大きな釜で煮て、煮上がるとそれを捨てていた。その煮汁から健康によいとされるグリコーゲンを抽出し、病気の治療より予防に役立てようと考え、「グリコーゲンを一番必要としているのは育ち盛りの子どもである。それならば子どもが喜ぶ菓子の中にいれて嗜好品として売ったらどうか」と考えたという。健康なからだづくりがグリコの創業の原点だったこと。その製品名は、グリコキャラメルでは他の商品と区別する意味で「グリコ」にした。箱の意匠は当時森永キャラメルが黄色で、それにならって他の商品も同じ黄色だった。が、何とか目立つ色にとの思いで赤色にした。商標(ゴールインマーク)は自宅近くの公園で子どもたちが遊んでいる姿をみて閃いて、手を上げてゴールする姿にしたこと。キャッチフレーズ(一粒三百メートル)も体重40Kgの人が一粒で三百メートル走れることで決めた。などなど用意周到に決めて、1921年(大正10年)3月佐賀から大阪に居(曽根崎)を移し、1922年(大正11年)2月に三越にて栄養菓子グリコが売り出されたのがスタートである。
1927年(昭和2年)には、「食べることと遊ぶことは子どもの二大天職である」。この思いの下、「グリコ」とおもちゃはひとつだと考えて、おまけ付きおもちゃを発売(以来50億個を超す)、子どもたちの創造性を育み、日本の生活文化を語る証拠として多くの人たちに愛され親しまれている。ここでは創業時から現在までの約4000点のおもちゃが展示されていた。それ以外には製品や広告の歴史、おまけ付きおもちゃの歴史などが展示されていたし、創業者江崎利一を偲ぶ部屋もあった。今回、江崎グリコの創業のことなど広く学ぶことができた。

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