2016年1月12日火曜日

真田丸の史跡

大変楽しみにしていたNHK大河ドラマ「真田丸」が10日からスタートした。ドラマの後半には大阪が舞台となり、その史跡などに来る観客も増え賑やかになるだろうと推測できる。
それに先立ち関連の史跡を訪れてみた。まずJR玉造駅で下車して西へ徒歩約10分の三光神社へ。この神社は西暦4世紀末、反正(はんぜい)天皇の時代に創建されたと伝えられる歴史ある神社。真田幸村の銅像と「真田の抜け穴」で全国に名を馳せ、幸村ファンにとっては、あこがれの「聖地」となっているらしい。大坂冬の陣のとき、ここに真田丸の出城があったと言われ、この高台から徳川勢を見下ろしていたのだという。本殿にあがる階段の左側に真田幸村の像と抜け穴が並んでいる。幸村の銅像は昭和62年、大阪真田山ライオンズクラブ15周年の記念に建立されたもの。采配を打ち振るう陣中指揮姿の幸村は誠にりりしく、幸村といえば三光神社のこの銅像が必ず登場するほど有名。 銅像の横にあるのが「真田の抜け穴」。大坂城から真田丸までつながる、地下に掘った連絡トンネルといわれている。かつては、三光神社以外にも、7つか8つ抜け穴があったが、今ではここだけが残っているとのこと。「抜け穴」は普段は鉄格子の扉で閉められているが、1年に1度「抜け穴開放」の日があり、その日は三光神社が開催している「真田まつり」の日。この日に限って、抜け穴を直接見ることができ、全国から幸村ファンがつめかけるという。
今回みると鉄格子の扉で閉められているが、人一人が這って通れるぐらいの穴が続いているのが見られた。
三光神社からすぐのところに心眼時(しんがんじ)がある。元和8年(1622)4月、白牟和尚が戦国武将真田幸村父子の冥福を祈り堂宇を建立したのが始まりで、境内地は幸村が戦捷(せんしょう)をおさめた大坂冬の陣の大阪城出丸城郭跡(真田丸跡)があり、ここが中心とも言われている。創建から寺の定紋は真田家家紋の六文銭とされ、山号は真田山と称する。
信州上田城から九度山を経て大坂城に入り、大坂冬の陣の時、ここで幸村が幕府軍と戦ったところであることに思いを馳せて見物した。 これからのドラマが楽しみだ。次は時期をみて九度山や戦死した最後の地である安居天満宮(天王寺の一心寺の近く)にも訪れてみよう。

0 件のコメント: