2015年9月21日月曜日

無鄰菴(山県有朋の別邸)

明治27年から明治29年(1896)にかけて明治・大正の元老である山県有朋(やまがたありとも)が京都東山に造営した別荘、「無鄰菴(むりんあん」を訪れた。(今回で2回目)
有朋は京都の木屋町二条に別荘を構え、その名を「無鄰菴」といい、さらに新しい地に好みの別荘を作りたいと考え、明治27年、現在の地で「無鄰菴」の造営にとりかかり、工事中に日清戦争の勃発により一時中断したが、明治29年(1896)に完成した。
有朋はこの別荘の庭園をこよなく愛し、多忙な公的生活の合間にも夫人を伴ってしばしば訪れたが、その後大正11年に83歳で死去。 
敷地の大半を占める庭園(面積約3135平方メートル)は、有朋自らの設計・監督により、造園家・小川治兵衛(じへえ)が作庭したものである。ゆるやかな傾斜地に、東山を借景とし、疏水の水をとり入れ、三段の滝池、芝生を配した池泉廻遊式庭園である。(以上、パンフレットなどから抜粋)
別荘内にある洋館は明治31年の建立で、2階には江戸時代初期の狩野派による金碧花鳥図障壁画で飾られた部屋があり、ここで明治36年(1903)4月21日,元老・山県有朋、政友会総裁・伊藤博文、総理大臣・桂太郎、外務大臣・小村寿太郎の4人によって、日露開戦直前のわが国外交方針を決める「無鄰菴会議」が開かれた部屋が、当時のまま保存されていた。
天王寺の住友本家跡の「慶沢園」や平安神宮の庭園など多くの庭を手がけた治兵衛作の庭園をゆっくりと散策し、また和室に座り心静かに庭園をみて過ごした。 少しばかり紅葉も始まりかけていたが、11月中頃にはもう一度訪れてみたい。

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