2015年5月31日日曜日

永谷宗円翁生家

日本煎茶の祖、永谷宗円の生家を訪れた。1738年に「青製煎茶製法」を開発・普及させたと伝えられる永谷宗円(開発当時58歳)が暮らし、明治まで永谷家が存在していた場所に、製茶道具やほいろ跡を保存するため、地元有志の手により昭和35年(1960年)に建設された施設。「生家」と呼ばれるが、江戸時代の家屋が現存しているのではなく、永谷家の屋敷のあった場所に、実際の家屋よりも小さい茅葺きの建物を新たに建てたもの。内部には焙炉(ほいろ)跡(写真下の手前)などが保存されており、宇治田原町指定文化財となっている。
この永谷宗円の生家は、京都府宇治田原町字湯屋谷にあり、国道307号線から少し入った山あいの車1台しか入れない集落の奥にあった。
 宗円が編み出した新しい煎茶は、露天栽培の柔らかい新芽だけを用い、蒸してから焙炉(ほいろ)上に設けた助炭の上で終始手で揉みながら乾燥させるというもの。この助炭の上で揉む技術は、従来の釜炒り工程やむしろの上で行っていた揉捻とは大きく異なり、飛躍的に進歩・改良されたものだったとのこと。
宗円は完成した新しい煎茶をたずさえて江戸へ赴き、江戸の茶商「山本山」(上から読んでも下から読んでもの山本山)山本嘉兵衛のもとに持ち込むと、嘉兵衛は一目でその品質が優れていることを見抜き、販売した。すると、宗円の新しい煎茶はたちまち大評判となり、「宇治の茶」の名声は一気に高まった。宗円は煎茶製法を惜しまず近隣に教え広め、その製法は全国へと広まり、別 名「永谷式煎茶」ともいわれるようになった。山本山は宗円の功績に感謝し、明治まで毎年永谷家へ25両を贈り続けた。宗円はその功績から死後「茶宗明神」として祀られている。(関連サイトから抜粋) 改めてすごい人だったのだと感心した。

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