2013年10月27日日曜日

伊藤忠兵衛記念館へ

旧豊郷小学校から南に約300mのところにある「伊藤忠兵衛記念館」を初めて見物した。この伊藤忠兵衛記念館は、初代伊藤忠兵衛の百回忌を記念して、初代忠兵衛が暮らし、二代忠兵衛が生まれた豊郷町にある旧邸(1998年に財団法人豊郷済美会に寄贈)を整備し、2002年4月より一般開放されている。入場料は無料であった。初代忠兵衛、二代忠兵衛の愛用品をはじめ、多くの資料が展示され、繊維卸商から「総合商社」への道を拓いたその足跡が紹介されていた。
初代忠兵衛がわずか15歳(1958年)の若さで、大阪経由、泉州、紀州へ近江麻布を持ち下り商いをはじめて以来、幕末から明治の初・中期という激動の時代に、全く独立独歩で各種の事業を興し、それらを大きく育て上げた。そこには革新と慈悲が生涯を貫き、偉業を達成させた原動力になった。伊藤忠商事㈱の創業日は、初代忠兵衛が15歳(1958年)で持ち下り商いをはじめた年になっている。
1903年初代忠兵衛が61歳で逝去、次男が二代目を相続襲名(17歳)し、初代から事業を受け継ぎ、それをさらに近代的な経営体へ変革するとともに取り扱い商品の幅を広げ、海外へ事業フィールドを拡張させた。いわば、今日の総合商社の基礎を作り上げた実業家だといえる。しかも、恐怖と戦争の時代に巨大化する組織を率いて見事にそれを成し遂げたのである。 総合商社の丸紅㈱は、初代伊藤忠兵衛の伊藤忠商店と伊藤長兵衛商店が合併(1921年)し、その後1945年にそれぞれ独立(伊藤忠商事㈱、丸紅㈱に独立)して今日に至っている。伊藤長兵衛邸の旧屋敷跡もすぐ近く(旧豊郷小学校と「伊藤忠兵衛記念館」の中間)にあった。
今回、伊藤忠商事㈱、丸紅㈱の創業者が豊郷町と知っていたが初めて訪れ見学し、その偉大さを改めて痛切に感じた。

旧豊郷小学校を訪問




滋賀豊郷町にある旧豊郷小学校をある用件で訪れた。数年前に古くなった校舎の建て替えか保存かで町が二分し、大きく新聞やテレビで報道され全国的に有名になった小学校である。結果的には建て替えせず旧小学校が保存され、その裏に新しい小学校が建てられた。この旧小学校は、昭和12年(1937年)5月30日、設計を担当した故ヴォーリズ氏により「日本一、東洋一」と人々にいわれた白亜の殿堂・豊郷小学校が落成した。当時としては最新設備を整えるものであった。 「国運の進展は国民教育の振興にある」と考える故古川鉄治郎氏が老朽化した母校の移転新築を提案。幾多の試行錯誤の上、当時60万円(現在の物価で十数億円)という、実に彼の私財の3分の2にあたる巨費を投じて、この一大事業を完遂させた。この篤志の行為に歓喜した村人から賛辞が述べられるたびに、「貧者の一灯ですよ」と彼は笑った、という。故鉄治郎氏は12歳の時より叔父伊藤忠兵衛のもと、丸紅の丁稚奉公から商魂を鍛えあげ、重役として活躍し、大実業家となる。そこで培われた情味豊かな「篤」の精神が、故郷に結実したとのこと。 旧校舎の耐震補強と大規模改修工事に着手し、 平成21年5月30日リニューアルオープンした。校門、通路、校舎の外壁、廊下、講堂なども復元されて大変綺麗になっていた。現在、旧豊郷小学校の史料展示室、教育委員会、子育て支援室・老人会の事務所、豊郷町の観光室などに、また映画・ドラマの撮影などにも多く利用されている。2階に上がる手すりに銅製の「うさぎとカメ」が置かれている。これは、故古川鉄治郎氏が幼いころ先生から「誰にも見ていないところで努力し、ゆっくりと進んでいきなさい」と童謡の「うさぎとカメ」のことを教えてくれたことが、成功し財をなした一つであるとことを聞いた故ヴォーリズ氏が感動し取り入れたためとのこと。故古川鉄治郎氏の銅像は正面入り口の右側にあった。
故ヴォーリズ氏が設計した建物は全国で教会や学校、ホテルなど1600件にものぼるが、この旧小学校にも故ヴォーリズ氏らしいところが随所にみられた。

2013年10月26日土曜日

第9回「湖風会テニスの集い」に参加

第9回「湖風会テニスの集い」が滋賀県立大学のテニスコートで行われ参加。 現役の硬式テニス部員、県立大学軟式テニス部OB、工業・家政・農業学部のOBが約30名参加したが、今回OBの参加が台風27号の影響などもあってか?少なかったのは残念な結果だった。 一年ぶりにラケットを握って打ってみたが、素振りは上々だが打ってみると足がもつれてうまく打てずガタガタだった。 練習もしていないし、歳だから仕方ないのだが・・・・・。 
それでも一年ぶりの再会と少し運動も出来て楽しめたのはよかったなぁ~。

2013年10月24日木曜日

最近の映画を鑑賞

最近の映画『許されざる者』『そて父になる』『おしん』『ダイアナ』を鑑賞。
【許さざる者】の概要は、明治維新の際に北海道に落ち延びた幕府軍の生き残りである釜田十兵衛(渡辺謙)は、僻地で幼子と暮らしていた。そんな十兵衛のもとに、かつての幕府軍の仲間である馬場金吾(柄本明)がやって来た。開拓民に顔を切り刻まれた女郎がおり、その女郎仲間が犯人の開拓民に千円の懸賞金を懸けたというのだ。刀を捨てた十兵衛だが、子どもたちの冬支度の金を稼ぐため、女郎たちのいる鷲路の町へ向かう。その町は、大石一蔵(佐藤浩市)という冷酷な警察署長が支配していた。十兵衛は自分のためではなく他の者のために、あらゆる覚悟を背負い、再び刀を手にするという苦渋の決断をするというもの。主役をはじめ、役者の演技はすごいものだった。
【そして父になる】の概要は、大手建設会社に勤める野々宮良多(福山雅治)は、都内の高層マンションで妻みどり(尾野真千子)と6歳の息子慶多と3人で暮らしていた。ある日、慶多が生まれた病院から連絡がある。DNA鑑定の結果、慶多は他人の子だった。病院の仲介で会った相手方は、群馬で小さな電気店を営む斎木一家(リリーフランキー・真木よう子)。粗野で境遇も違う斎木夫婦に嫌悪感を抱く良多だが、交流を深めるうちに実子である琉晴に自分とのつながりを見いだして行く。思い悩んだ良多の決断は・・・わが実の子を引き取ることだった。お互いの夫婦が悩み抜く過程が見ものだった。
【おしん】の概要は、明治40年の冬。山形県最上川の寒村に暮らす7歳のおしん(濱田ここね)は、川下にある中川材木店に子守にとして一年間の年季奉公に出る。厳しい女中頭のつねにしごかれ、食事も満足に与えられない中、おしんは辛抱の日々を送っていた。ある日、おしんは50銭を盗んだのではないかと疑われ、そのまま店を飛び出してしまう。逃げる途中におしんは雪山の中で倒れるが、脱走兵の俊作が彼女を助けてくれた。俊作はおしんに文字を教え、ハーモニカをくれるが、脱走兵として殺される。おしんは、その後の奉公先である山形県・酒田市の米問屋「加賀屋」で、当家の跡取り娘、八代加代との深い友情と、その後の、おしんの生き方に多くの影響を与えた大奥様のくに(泉ピン子)の教えを受け、立派な女性へ成長していく・・・というもの。約2,500名の応募者の中からおしん役に選ばれたのは、まだ9歳の濱田ここねちゃん。冬の山形で約5カ月にもおよぶロケが行われ、親元を離れれ大変なロケだったようだが、さすがに演技はすばらしかった。
【ダイアナ】の概要は、現代のシンデレラストーリー。1981年保育士だったダイアナが、イギリスのチャールズ皇太子と結婚、20歳の可憐なプリンセスに人々は熱狂した。翌年には長男、続いて次男が誕生するが、伝統を重んじる王室と、現代的な都市生活を愛するダイアナとの間に溝ができていく。さらにチャールズの不倫と、ダイアナの秘密の恋が発覚。おとぎ話は離婚で終わった。初めて自分の人生を歩み始めたその矢先、1997年8月31日、事故により全世界を夢中にした36年の生涯を閉じる。彼女自身の人生・・・・、それはほんのわずか2年のことだった。
パリでの交通事故により不慮の死を遂げてから16年が経った今なお愛されるダイアナ元英国皇太子妃。伝統を重んじる王室の中で個性を押し殺して生きることができなかった彼女の葛藤とチャーミングな素顔、意外な一面がナオミ・ワッツ(ダイアナ役主演)の好演で明かされていた。よく似合っていたしすばらしい演技だった。

2013年10月18日金曜日

「ぎゃらりぃ西利」で洋画・書を鑑賞

京都祇園四条の「ぎゃらりぃ西利」を久しぶりに訪れてみた。この4階で偶然にも会社OBの人が「洋画」と「書」を展示していたので鑑賞。
この「洋画」は第19回目の出展ということで、21点が展示されていた。その内10点が海外の風景と残りが国内の祭り、風景などの洋画であった。今までみた洋画とは少し違っていたが、それなりに楽しめた。
「書」の方は洋画の人と友人ということで、初めての合同出展とのこと。 この「書」は全て左手で書いたもので、すごくうまいと感心した。 「書」は普通利き手の右で書くことであるが、あえて左手に興味を抱き挑戦したものとのことすごい。左手で書いたり、食事や歯磨きなどの生活に使うと脳の活性化のみならず何か利き手とは違うものを得ることがあるそうである。はじめはギコチないが2ヶ月もすると慣れるとのこと、一度やってみようかなぁ~! 

2013年10月15日火曜日

「花の郷 日野ダリヤ園」へ



日野町出身で還暦を迎えた同志(高校の友人も4名程参加)が地域の恩恵に感謝し、郷づくりの一端を担えればとボランティアで発起し、2002年「花の郷 ダリア園」がオープンした。10,000㎡あまりの休耕田にダリヤを主体に季節に応じた花・果樹等(いちご狩り等)の観光ファームを形成している。 現在、30名弱の人がボランティアで従事し、年間12、000~13、000人が訪れるという日野町の観光スポットの一つになっている。当日も大阪から観光バス1台がダリヤ園に来ていた。
友人に聞くと、悩みは若い60代のボランティアが来てくれないとのこと、どこでもボランティア団体となると同じような悩みがあるようだと思う。 無償ボランティアではなかなか長続きしないし来てくれない、有償ボランティアにしていかないと難しいのではないかなぁ~。
ダリヤの見ごろは少し過ぎたようだったが、いろいろなダリヤを鑑賞することができてよかった。(*^_^*)  次は来年4月末~5月初めのボタン、芍薬が良いそうだ。 また訪れてみたい。
友人に「行くよ!」と言ってから早や5~6年が過ぎ、やっとその約束が果たせた。(^○^)

2013年10月14日月曜日

五個荘近江商人屋敷見物

金堂まちなみ保存交流館→堂中通りから外村繁邸→外村宇兵衛邸→中江準五郎邸→寺前・鯉通りの弘誓寺・浄栄寺→五個荘観光センターを散策しながら見物。 平成10年12月、金堂の町並みは国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されている。 各邸の概要は以下の通り。
外村繁邸】隣家外村宇兵衛の分家に当たり、明治40年当主吉太郎が本家から独立、東京に呉服木綿問屋を開いたのが始まり。外村繁は明治35年に三男として生まれ、京都第三高等学校を経て東京帝国大学に進み、文学を志した。父の死後、一時家業を継いだが、 再び文学の道に入り、「草筏」「筏」「花筏」など近江商人を題材とした小説や自らの人生を綴った数多くの作品を残し、昭和36年58歳で亡くなった。本邸は、「外村繁文学館」として作品を紹介している。
外村宇兵衛邸】初代外村宇兵衛(1777~1820)は、近江商人であった六代目外村与左衛門の末子。後に分家し、1813年に独立経営。主に呉服太物を商う。明治期には全国の長者番付に名を連ねる。明治29年(1896)ころの隆盛時には、2720㎡の敷地に主屋・書院・大蔵など、蔵が十数棟建ち並んでいた。外村繁邸の本家にあたる。平成4年に町指定史跡「近江商人屋敷旧外村宇兵衛邸」として指定、平成6年6月より一般公開。
中江準五郎邸】昭和初期、朝鮮半島や中国で三中井百貨店を築いた中江家4兄弟の末弟の準五郎の本宅。明治38年(1905)、朝鮮大邱に三中井呉服店を創業し、昭和9年(1934)に株式会社三中井百貨店となる。戦前まで、本宅を金堂に置き、朝鮮半島・中国で約20店舗を経営した。蔵の中には五個荘が生んだ郷土玩具・小幡人形と全国の土人形を多数展示紹介している。
以前から訪れてみたいと思っていたのが、やっとかなって金堂まちなみをゆっくりと散策し、五個荘の近江商人を改めて学ぶことが出来た。また、大阪商人、伊勢商人と並ぶ日本三大商人の一つと言われる近江商人が自分たちだけに好都合な取引のみでは満足せず、第三者の目、すなわち周囲や地域の人々のことを絶えず視野に入れていたと言う「売り手よし、買い手よし、世間よし」の3方よしも改めて学び認識を深めた。近江商人として成功した商人の屋敷や庭園は、さすがに立派であることも改めて知ることができた。

五個荘近江商人博物館・屋敷見物

近江商人とは、近江を本宅・本店とし、他国へ行商した商人の総称で、個別には「高島商人、八幡商人、日野商人、湖東商人」などと呼ばれ、それぞれ特定の地域から発祥し、活躍した場所や取り扱う商品にも様々な違いがあるのも特徴である。今回、湖東商人と呼ばれる五個荘の商人邸を見物した。 まず、近江商人博物館→藤井彦四郎邸→金堂まちなみ保存交流館→堂中通りから外村繁邸→外村宇兵衛邸→中江準五郎邸→寺前・鯉通りの弘誓寺・浄栄寺→五個荘観光センターを見物した。
近江商人博物館では、近江商人を知る第一歩として、映像やジオラマを用いて地域の歴史、近江商人の商法や家訓、その暮らしや文化、教育などさまざまな角度から、展示紹介されていた。
藤井彦四郎邸では、藤井彦四郎(1876-1956)が近江商人の三代目藤井善助の次男として生まれ、後に分家して藤井糸店を創業。当時、珍しかった人造絹糸や「小町糸」の発売、「スキー毛糸」の製造販売など時代を敏感にとらえて、一代で成功したこと。屋敷地には、藤井彦四郎自身の構想で珍石・名木を配し、琵琶湖を模した池を中心に設けた池泉廻遊式の大庭園をはじめ、主屋、客殿、洋館、土蔵が建ち並んでいて大変立派なもので見ごたえがあった。

2013年10月11日金曜日

第12回ナルク「秋のつどい」に参加

ナルク「天の川クラブ」恒例の第12回「秋のつどい」2013が交野市「星の里いわふね」で約220名の参加のもとで開催され参加した。
いつものように10回目の広報担当で写真・ビデオ撮影をしたが、この「秋につどい」も今回で終了、来年はまた違った形で行われる予定。
第一部は11時から開会され実行委員長の話があり、ナルク本部役員による乾杯後食事・懇親が行われた。食事の用意は各地区会の人達が、それぞれヤキソバ・焼き鳥・焼肉・おにぎり・デザートを担当。飲み物も多く用意され、楽しい昼食懇親会が行われた。
第二部は13時10分から体育館(ホール)にてオー・ジンズ(中村・小松・早川氏の3名グループ)のフォークソングの演奏、大正琴演奏、口笛(演奏)、抽選会があり終了した。
当初、雨降りとの予報であったが、早朝には雨も上がり9時には晴れ間も出て参加の皆さんは楽しい一日を過ごせたようだった。
これから写真やビデオ編集をして、DVD作成やHPへの掲載が残っており、ヤレヤレ終わったということではなく、これからが大変だぁ~~。

2013年10月5日土曜日

「げんき~」Gのボランティア活動

障害福祉サービス事業所「南海香里のさと」のふれあいまつりが行われ、「げんき~」Gがボランティアとして6名が参加。 出し物はいつもの「歌体操」「新舞踊」「どじょうすくい」「南京玉すだれ」で約30分間の活動。それ以外には、マジックショー、みんなで歌おう、仲間の歌や踊りの発表などがあり、結構賑わっていた。 従来は老健施や老人会などへの活動が多かったが、今回は初めて障害者の施設だった。 終わって昼食に模擬店でカレー、みたらし団子、コーヒーを飲食して、謝礼金(1万円)をもらって終わった。今回、なぜか待遇がよかったなぁ~。(*^_^*)