2012年4月25日水曜日

「交野天神社」のHP取材

「交野天神社」の入口
パナソニック松愛会のHP委員をして9年になり、もう辞めたいと申し入れて3年が経過した。しかし、代わりの担当者がなかなか見つからず、今年委員長も代わり何とか応援をしてほしいと懇願され、この一年も担当を続けねばならないこととなった。
今回新たにパナソニック松愛会HPの「ひらかた発見」の第4シリーズとして枚方市内の神社を取材し、私たちの眼から見た神社を紹介し、広く会員や一般の市民の方にも知ってもらう活動をすることとなった。その第1回目として楠葉にある「交野天神社」の取材を行い、神司さんから詳しい話を聞くことで、歴史ある神社であることを改めて認識した。(詳しくは後日、パナソニック松愛会HPで紹介)
この神社の周りは住宅地が迫って囲まれているが、1歩足を踏み入れると鬱蒼とした原生林に囲まれ、昼間でもひっそりとして、安らぎを覚える森となっている。鳥居の手前の石碑は右側「樟葉宮旧蹟」と左側「桓武天皇先帝御追尊之地」とある。第26代継体天皇が507年2月4日に樟葉で即位して1500年を迎えたのを記念して、2007年4月29日(日)、「樟葉宮」1500年記念祭典が交野天神社・貴船神社の主催で開催され、今年も29日に「春まつり」として行事が行われるそうだ。交野天神社は「かたの あまつかみのやしろ」と呼ぶのが正式な呼び方で、一般的には「かたのてんじんじゃ」ともいう。
資料によると、当神社は787年(延暦6年)第50代桓武天皇が当地に、郊祀壇(こうしだん)を設け父の光仁天皇を天神(あまつかみ)として祀ったのが起源とされる。これは、中国では皇帝が毎年冬至に、都の南に天壇を設け、天帝を祀る例にならっている。桓武天皇がこの地に、父光仁天皇を祀ったのは、この地が継体天皇即位地の楠葉宮伝承地であったこととが最も大きな理由と思われる。創建当時から、皇室とは関係が深く、社殿の修理などの際には、朝廷よりの奉幣の儀が度々あり、神社の記録によれば、1238年(嘉禎4年)の修理、1401年(応永8年)の再建、1442年(嘉吉2年)の屋根の葺き替えの時には朝廷より特使の参向があった。一般的にいえば、天神=菅原道真のイメージが強くあるが、ここの神社は、それ以前の天神の形を保っている。尤も、この神社も、1872年(明治5年)菅原道真を合祀している。拝殿の後方に社殿が2棟(本殿と八幡神社)あり、いずれの社殿も『鎌倉時代の様式を残した室町時代初期の建造物で、一間社流造、桧皮葺』である。1950年(昭和25年)国の重要文化財の指定を受けている。(関連のサイト抜粋)

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