2011年11月30日水曜日

映画「プリンセストヨトミ」の再鑑賞

茶店で大阪城をみながらソフトクリームを食べるシーン
11月中旬に映画「プリンセストヨトミ」のDVD(スタンダード版、プレミアム・エディション版)が発売され、スタンダード版を入手。自宅で再度鑑賞した。
この映画は、エキストラで知り合ったKさんから借りたDVDの「撮影日誌」によれば、2010年7月23日彦根城でロケがスタートし、最後日は9月10日東京丸の内で終わり撮影日数42日間、総エキストラ数約9,300名、2010年夏の大阪の猛暑日数(35°以上の日数)31日の記録的な暑さの中、大阪・京都(東映撮影所)を中心に撮影が行われ完成したとのこと。
この記録的な猛暑の中、8月14日の大阪府庁、25日の大阪城前の「豊城園」(茶店)、26日の大阪城極楽橋、28日の大阪府庁、9月7日の京都東映撮影所での撮影にエキストラとして参加した。スクリーンに映ったのは、25日大阪城前の「豊城園」(茶店)で、会計監査の仕事も終わり3人(会計監査員の堤・岡田・綾瀬さん)が大阪城をみながらソフトクリーム、タコ焼きを食べるシーンで、3人の後の茶店左横の自動販売機から夫婦役で一緒に出て、しばらく立ち止まって話し合って横に出ていくシーン。(写真のシーン、手ぬぐいを被っているのはタコ焼き屋の兄ちゃんこと玉木宏さん) また、同じく大阪城をみながらタコ焼きを食べる鳥居会計監査員(綾瀬さん)の後の同じ茶店左横の自動販売機から出て、まっすぐ出ていくシーンも少しであるが映っていた。
28日の大阪府庁では、最前列にいたので映っていると思っていたが、残念にも役者の位置関係もあって見当たらなかった。 しかし、「撮影日誌」ではバッチリとアップで映っていて、その時の様子も分かりよかった。
今回、エキストラが約9,300人参加したと言われている中で、スクリーンに映ったのは非常にラッキーであり、よい思い出が残る映画となった。

2011年11月26日土曜日

邦楽の「三曲演奏会」へ

三曲演奏会での演奏風景
第九の知人でFさん(「三曲演奏会」に出演)からNHKホールでの第53回各派合同「三曲演奏会」(朝日新聞厚生文化事業団主催)のチケットが届き、特に予定もなかったので聴きに出掛けた。
演奏は、「秋韻」(宮城道雄作)から「落葉調」(実兼咲山作で新都山流大阪府支部が演奏)まで12曲演奏され、箏・三絃・尺八の合奏を楽しんだ。

2011年11月25日金曜日

心肺蘇生法・AED講習会に参加

3グループに分かれて心肺蘇生・AED講習
ナルク「天の川クラブ」主催で、「きらら」(枚方市立生涯学習情報プラザ)の勤務者を中心に実施されたので参加。参加者は30名。
心肺蘇生法やAEDの使い方に関するビデオをみてから、3グループに分かれて枚方・寝屋川消防署の人(隊長と署員2名)から心肺蘇生法やAEDの使い方を、それぞれ説明を受けて全員が実技体験(各1時間の計2時間)をした。(約3時間の講習会)
この講習は、もう6~7年前に講習を受けたが、忘れているところもあり勉強になった。

心肺蘇生の方法は、倒れた人を発見→周辺の危険はないか確認する→額に手をやり肩などを叩いてどうしました?大丈夫ですかと、3回ほど聞いて(反応がない場合)→周囲の人に119番通報とAEDを頼む→呼吸しているか鼻先に耳を近づけ、胸をみて約6秒確認する(呼吸していない場合)→①鼻をつまんで口から息を2回入れる→②乳頭と乳頭の間に左手を下に右手を重ねて約4~5cm程度(胸部約3分の1)へこむように30回(1分間に30回程度)繰り返す→①と②を繰り返し→AEDが来たら、傷病者の頭の近くに置いてチャックを開け本体とパットを取り出す(本体の取り出しはしなくてもよい)→本体の電源をON→音声に従い電極パットのコードを本体の電源プラグに差し込む→電極パットを右肩、左下に貼り付ける→心電図の解析が始まり、「傷病者から離れてください」とのメッセージが流れるので、周りを確認、その間AEDは電気ショックが必要か調べる→必要とのメッセージが流れると、自動的に充電を開始→充電が完了すると「細細動ボタン」を押してくださいのメッセージに従い押す。その後もメッセージに従って行う。心肺蘇生法やAED操作は、やれば簡単であるが、実際に遭遇したとき、慌てずにうまくいくだろうか? 機会があれば何回も受けて訓練しておくことが必要だ。

2011年11月21日月曜日

第11回「淡路島一周ウオーク」へ

「野島断層保存館」前に集合の参加の皆さん
第11回「淡路島一周ウオーク」(約14km)に参加。参加者はいつものように大阪市内・奈良・神戸・枚方高槻方面からバス4台で約120名。月曜日でもあり、いつもよりか少ない参加者だった。
行程は枚方7:15発→高槻→茨木→途中淡路サービスエリアでトイレ休憩後、出発点の「北淡震災記念公園」に到着。「野島断層保存館」前を10時35分にスタート→朝の漁港→育波・藤本水産に11時45分に到着後買い物し、近くの育波漁港・公園で昼食。12時30分に出発→室津漁港→室津公園→枯木神社→尾崎漁港→群家公園(淡路城)→終点の多賀の浜海水浴場に14時20分到着。(約14kmウオーキング)。

14時45分に出発して「パルシェ香りの館」を見学して、15時20分出発し帰路についた。枚方へは18時15分過ぎであった。
これで淡路島一周のウオーキング距離は約125km、余すところ4回(12月:11km、1月:11km、2月:13km、3月:10km)の45kmとなり、来年の3月で終わる。次の目標のウオーキングはどこにするか検討の時期が来ている。

2011年11月17日木曜日

親鸞聖人750回大遠忌法要参拝

御影堂内(仮設)で参拝する人達
京都西本願寺にて親鸞聖人750回大遠忌法要が、今年の4月9日から始まり11月16日(65日間)で終わるため、50年に1度の大遠忌であり参拝に出掛けた。午前と午後の2回行われていたが午後2時半からに参拝。地方からの信徒(約3000名と司会者から発表)が、広い御影堂内やその前後左右に仮設の参拝席が作られ、そこに着席して参拝。
大遠忌は「宗祖讃仰作法(音楽法要)」で行われ、「宗祖御消息」、「頂礼文(ちょうらいもん)」、「表白(ひょうぴゃく)」、「正信念仏偈(ぶつげ)」、「和讃・念佛」、「回向文(えこうもん)」、「宗祖御消息」であった。
750回大遠忌のスローガンは親鸞聖人のお言葉「世のなか 安穏なれ」だった。知っているようで知らない親鸞聖人の生涯と教えを、この機会にもう少し深く学びたいと思う。

2011年11月12日土曜日

はじめてのクルージングを楽しむ

大阪北港ヨットハーバーでのCASABLANCAⅡ
知人のKさんが所有しているヨットにはじめて乗船。今回乗船したのは女性2名とヨット所有の夫妻の計5名。このヨットは1996年に29フィートで仏べネトウ社製の中古ヨットが売りに出され購入(小型のベンツ並の価格)されたCASABLANCAⅡ。それ以来15年乗られて船として進水してからは22年経過しているが、まだまだ乗って楽しめるヨットとのこと。
枚方からヨットが係留している西宮ヨットハーバーへ、そこから大阪北港ヨットハーバーへ約1時間半の往復クルージングを楽しんだ。天候は最高に良かったが、風がほとんどなく穏やかな湾(海)でセール(帆)を揚げても進まないので途中からエンジンでのクルージングだった。セール(帆)を揚げてのかっこよいクルージングを期待していただけに少し残念だった。昼は北港ヨットハーバーで係留しヨット上でバーベキュー、帰りの途中では舵とりの体験もして楽しんだ。
若い頃に少し憧れでもあったクルージングをはじめて体験、いいものだなあーと思ったが、今からではこの歳だし、お金もかかるし無理。たまに乗せてもらうか、ヨットハーバーに行けばヨット体験として乗れるので、それしかないかと思う。

2011年11月10日木曜日

MBSTV木曜ドラマ「ランナウェイ」

新鴨野橋横の屋台でお好み焼きを買うエキストラの皆さん
TBS系(MBS)TVで10月27日から始まった「ランナウェイ~愛する君のために」が第3話(大阪)として放送された。このドラマに25日、午前中は大阪駅ステーションシティの5F時空の広場、午後(夕方)はOPBの新鴨野橋横であり通行人(客)として参加。参加者はそれぞれ約70名(女性約80%)。この「ランナウェイ」の物語は、理不尽にも無実の罪で逮捕され、北九州の刑務所に収監されてしまった4人の若者たちが愛する者のため、それぞれの目的を果たすため、脱獄。脱獄を果たした4人は、同じく理不尽な環境にいる1人の少女と出会い、度重なる試練を乗り越え、北九州~四国~大阪~京都などを巡りながらそれぞれの目的地・東京(北九州から1000km)を目指すというもの。今回は3話が放送された。あらすじは手に入れた5千万円を持ったまま、空哉(上田竜也)が姿を消す。激しく怒るリュウ(塚本高史)をなだめながら、アタル(市原隼人)たちは空哉の地元であり、次の金を埋めてある場所でもある大阪に向かう。一方、金を持ち出した空哉は妹の香澄(小松美月)と通天閣の展望台で会い、自分の借金のせいで家も店も手放した母昌江(室井滋)が、大阪城近くでお好み焼きの屋台を出して、働く続けていることを聞く。お金を埋めてある場所が屋台の横であり、3人と少女はその屋台で働き、お金を掘り出す。そこ(屋台)に空哉が出向いて母に無実であること伝え詫びるが、そこに刑事達が迫ってくる。母は無実であれば逃げろと言い、4人と少女はその場を立ち去り、バスに乗って京都に逃げる。この後は第4話として続く。
大阪駅の5F時空の広場では、空哉の前を通る通行人として後姿がはっきりと映っていた。夕方、OPBの新鴨野橋横の屋台でお好み焼きを買う客として小さく映っていた。この日の夕方は、寒気が流れ込んだ影響で風も強く大変寒かった。(上の写真)

2011年11月3日木曜日

淡路島の岩屋~野島ウオーキング

野島断層ゾーン
10月の第10回「淡路島一周ウオーク」(約11km)に参加できなかったため、その分のウオークに行った。
車(運転手付)で枚方8時前に出発し、第9回の到着地点の道の駅あわじ・松帆アンカレジパーク(明石大橋の真下のパーク)に10時前に到着、トイレ休憩後10時10分にスタート。途中大川公園で小休憩し野島断層の「北淡震災記念公園」に12時半到着。(約11kmのウオーキング)その後、野島断層保存館の野島断層の保存ゾーン、メモリアルハウス、震災の各展示などを見物、また震災体験館では震度7の体験もした。現地を午後3時前に出発し、枚方には5時前に帰った。 次回(11回目)はツアーに参加するつもり。

2011年11月1日火曜日

尺八・流祖中尾都山邸跡へ

流祖中尾都山邸跡(伊加賀からここに新築したらしい)
先日、都山流尺八演奏を聴きに行ってから、流祖中尾都山が枚方出身であることを思い出し、ホームページで調べてみるとその邸跡が現存することが分かり見に行ってきた。
枚方市駅から徒歩約5分の岡東町(野村証券前の道を西に約50m入った市営岡東自動車駐車場前)に当時の各地の幹部会より寄贈された鳥居、灯籠、狛犬、玉垣等のある流祖都山邸跡(約60坪)があった。
ホームページによると流祖中尾都山は、1876年(明治9年)10月5日、大阪府茨田群伊加賀村(現枚方市伊加賀)で、父中尾治郎平、母み津の次男として誕生、本名は中尾琳三。1894年(明治27年)17歳で虚無僧行脚、1896年(明治29年)20歳で大阪・天満此花町にて都山流尺八指南の看板を掲げて創始、それまで口伝のみで伝えられていた地歌、箏曲、その他を楽譜におこし1903年(明治36年)26歳には独立した尺八の本曲を作曲発表した。1915年(大正4年)~1916年(大正5年)38~39歳でロシア・朝鮮満州への演奏旅行、1922年(大正11年)45歳で本部を東京に移転、1945年(昭和20年)68歳で東京より枚方に転居、1949年(昭和24年)72歳で枚方から京都北区紫野へ転居、1956年(昭和31年)享年80歳で逝去。
寄贈された鳥居、灯籠、狛犬、玉垣等のある流祖都山邸跡前は車や人の往来が多いが、静かにたたずんでいると、その当時の華やかな栄光の面影が浮かんでくるようだった。この邸内には鍵がかかっていているので入ることが出来ない。ここの管理・所有者は都山流四代目か、新都山流三代目かのどちらであろうか?