2011年1月31日月曜日

TVドラマのエキストラに参加

 テレビ朝日系TVドラマ「SP警視庁警護課(仮題)」渡瀬恒彦主演(SP:要人警護の警官)の2時間ドラマで、大阪ビジネスパーク円形ホール(旧MIDシアター、写真)内で撮影が行われたので参加した。
元首相の長女で国会議員の石鍋キリ子(高畑淳子)の特別講演会が行われたが、ロビーに出ると事件が起こる・・・・・の会場内外でのエキストラ。詳しい撮影状況、内容などは掲載禁止のため省略)
今回の参加者は約200名(男女半々か、女性が少し多い感じ)で、現役の20~50代が多く60代の人はちらほらだった。
エキストラとしての会場内外での演技(役割)もあり、結構楽しめたのでよかった。また、昼食の弁当も美味しかった。(下の写真)
円形ホールの地下から上がったところで、渡瀬恒彦さんにバッタリ出会い「お疲れさんでした」と声を掛けたら返答してもらえた。



2011年1月23日日曜日

「ぐるっと淡路島一周ウオーク」へ参加

 サンケイ旅行社の「ぐるっよ淡路島一周ウオーク」の第一回目の鳴門岬から阿万海岸海水浴場(約13km)までがあり参加した。大阪市内・奈良・神戸・枚方高槻方面から土曜日のため子供をはじめ多くの中高年の参加者で、バス9台(346名)の大人気のウオークツアーだった。
行程は枚方7:00出発→高槻→茨木→淡路島「おのころ島神社」に参拝→11時着、鳴門岬「道の駅・うずしお」にて昼食、約15分徒歩で第1駐車場に集合→12:00スタート(2つのグループに分かれてスタート)→刈藻海水浴場→13時10分、福良港着→休息→13:40分福良港出発→吹上浜→15時40分に阿万海岸海水浴場着(ゴール地点)。 約3時間10分のウオーキングだったが、心配していた足の痛みなどもなく歩けてよかった。
この「淡路島一周オウーク」は、次回(2回目)は阿万海岸海水浴場から灘黒岩水仙郷で、2月7日(月)。3回目は灘岩水仙郷から立川水仙郷で、4月2日(土)にある。4回目以降、最終15回目(来年の3月)で終わり、道のりは合計170kmである。
このウオークツアーは、ただ単にウオークキングするだけではなく、どこか一か所の観光も含んでいるのでよいと思う。今後、毎月1回のペースで行われるが、次回以降も参加したい。
上の写真は「ぐるっよ淡路島一周ウオーク」のチラシ、下の写真は福良港を出発して吹上浜に向かう長蛇の列(先頭から撮影)。

2011年1月20日木曜日

「客船オセアニック号」船内見学会へ

神戸ポートターミナルで「客船オセアニック号」(世界一周の船旅)の船内見学会が行われ、関心もあり出かけた。今回はすでに船旅の予約をした人、相談・予約する人、ただ見学の人などで約3,000名が参加とのことで混雑していた。 
この客船は、船籍:パナマ、総トン数:38,722トン、全長:238.4M、全幅:29.4M、乗客定員:1,550人、航海速度:最高27ノットで、ヨーロッパとアメリカ結ぶオーシャンライナーとしてイタリヤで1995年に建造され、カリブ海クルーズや地中海クルーズなどで活躍した、快適な船内生活を過ごすことが出来る外航客船である。(写真は神戸ポートターミナルに接岸する「客船オセアニック号」)
船内見学の前に「90日間世界一周の船旅」の概要説明がプロジェクターを使って、何回かに分けて行われていたし、また相談・予約コーナーも十数テーブル置かれ、多くの人が相談し予約している様子が見受けられた。
客船の到着が予定より遅れ12時15分頃に接岸、見学は13時15分から行われた。客船の5階が地上1階にあたるので、そこから乗船し船内案内図のもと6・7・9階の客室、8階のブロードウェイショールーム、ショップ、ラウンジ、パブ、10階のプールサテライトラウンジ、客室、11階のスポーツジムなど一通り約1時間見学した。船内は自由に見学が出来て分からないことがあれば、各所にスタッフがいて説明案内してくれた。
一番気になるのは価格、一番安いのは4人部屋で2段ベッドで一人99万円、シングルで200万円~、2人部屋のスタンダードで一人140万円~で窓のある部屋、ない部屋など間取りによって価格が違う。
乗船して世界一周してみたいなあ~と思うが、まずはお金、次に仕事やボランティアをやめないといけないし、家族のこともあり行けそうにない。 しかし、いつか行ってみたいなあ~・・・・・。

2011年1月16日日曜日

「New year Concert」へ

寝屋川演奏家クラブの定期演奏会「New year Concert」が門真市民文化会館ルミエールホール小ホールであり聴きに出かけた。
第1部はフルート、クラリネットピアノのためのソナタをはじめとするクラッシク系音楽(6曲)、第2部は映画「ノーノーナネット」より『二人でお茶を』をはじめとする映画音楽(6曲)の演奏だった。
第1・2部ともフルート、クラリネット、サックス、ピアノ、歌ありのバラエティーに富んだ音楽を聴くことが出来てよかった。
最後に出演者全員による映画「サウンドオブミュージック」より『私のお気に入り』『すべての山に登れ』『エーデルワイス』の合唱があった。(写真がその様子)
寝屋川演奏家クラブは、2000年に娘二人と寝屋川市、枚方市などに在住の音大生、音大を卒業した人達十数名で発足し、年3~4回の定期演奏会を行っている団体(現在43名の会員)で、今年で満11年になる。当初と比べると寝屋川演奏家クラブの知名度も随分とアップし、多くの人達が来場されるようになっている。

2011年1月13日木曜日

「藤間劇団」のショーを鑑賞

 京阪御殿山の「渚の湯」で行われている大衆演劇の「藤間劇団」を観に出かけた。12時から唄のショー、60分の時代劇の芝居、60分の演歌や流行の歌謡曲に合わせて座長や団員による踊りのショーがあった。芝居は日毎に変わるらしい。観客は平日の影響か15名と少なかったが、大衆演劇のファンが前列に陣取って声援を送っていた。智太郎座長の歌や芝居、また女形の踊りもよかった。1月末まで「渚の湯」、2月は石川県加賀市「大江戸温泉ながやま」での公演とのこと。
この劇団は1985年に初代座長・藤間新太郎(現太夫元)が旗揚げ、まじめに一生懸命をモットーに劇団全員で力を合わせて、日々の舞台を勤めている。2005年5月に、新太郎太夫元の長男・智太郎が二代目座長を襲名した。将来、藤間歩(あゆみ、小学6年生)が三代目として襲名予定。(公式サイトから抜粋)  
「大衆演劇」の概要は、全国各地にある大衆演劇専用公演の劇場・または、健康ランドやホテルなどで劇団員一行が時代劇を主とした公演をしているものをいう。公演場所を指して分かるように、他の公演と比較し、演じる役者と観客との距離が大変近く、芝居の内容を観客が大変分かりやすい構成で仕上げている。その為、役者と観客が一体となり臨場感溢れる空気が生まれるのが特徴である。劇団の総数は全国で130劇団以上存在。現在では20代~30代の座長が看板を努める劇団が多いのが傾向。 何世代も続く歴史の深い劇団から、最近旗揚げ(創立)した劇団まで様々な歴史を持つ劇団があり、劇団一行の人数は数名~30名程の構成となっている。
2月の「渚の湯」は「宝海劇団」の公演予定で、機会があればまた観たいものだ。上の写真は芝居の一場面、下の写真は座長の舞踊。

2011年1月12日水曜日

イメージングスクエアサービスの開始

 11日付の朝日新聞で、1ページを使ってCASIOから広告(IMAGING SQUARE)が掲載された。
これは1枚の写真からパーチャルペインター(写真を12種類の各絵画に変換)、HDR(ハイダイナミックレンジ)アートクラフト(1枚の写真をHDRアートに変換)、ダイナミックフォト(写真の切り抜き、合成機能)、画像の左右90°回転、サムネール画像の作成などができるオンラインサービスを開始したとの内容であった。
画像編集ソフト(フォトショップエレメント等)でもできる内容を高価なソフトを購入せずに、オンライン上で手軽に作成できるもので、早速試してみた。やってみると誰でも簡単に変換できるので大変便利で面白い。
ほんの一例だが、上のバラの写真を水彩画に変換させてみたものが下で、油絵にも即座に変換してくれる。

2011年1月4日火曜日

通天閣「スカイウオーク」へ

 京阪北浜駅で下車して、堺筋を南下し本町、長堀、日本橋をウオーキングし、約1時間で通天閣に到着。
通天閣の5階に上がり4階にある昨年10月から始まり人気のある「スカイウオーク」へ。
これは照明の保守などに使う地上75Mの足場を歩き、新世界など大阪の町並みが一望できるもので、腰に命綱を着けているが、足元の格子から地上がのぞくと思わず足がすくむ人もいるらしい。 
受付して待つことなく安全帯を装着していざ地上75Mの空中散歩へ! 若い女性のガイドが安全を確認しながら案内してくれた。途中「神様のテンちゃん」があり、その前で記念写真を撮った。(上の写真)
良い天気で風は少しあったが、見晴らしがよくて一回りした空中散歩の体験はよかった。しかし、恐怖心もなく何となく物足りない感じの体験でもあった。下の写真は「スカイウオーク」を体験する人達。
その後、難波へ出て御堂筋を北上し途中、難波神社、北御堂に参拝し京阪淀屋橋駅から帰宅した。本日のウオーキング時間は2時間半(距離で約12km)だった。(1/713138)

2011年1月2日日曜日

「片埜神社」へ初参り

大晦日は大雪の影響で日野に泊まって1日午後帰宅。
2日に徒歩10分にある「片埜神社」へ初参りした。正月で行列ができるほど多くの参拝客で賑わっていた。この6年ほど前から毎年清酒1本を献酒しているが、ずらあ~と並んだ献酒をみると案外1本は少なくて2本が多い。今年も家族の健康とよい年になるようにと祈願した。
「片埜神社」(概要)は、第11代・垂仁天皇(在位:元年~の御代、出雲の豪族・野見宿禰(土師・菅原氏の祖)が当麻蹴速との戦いに勝ち、河内一帯を賜わった。そして、当所、阪の地に出雲の神様「建速須佐之男大神」を奉鎮し、土師氏の鎮守としたのが始まりである。欽明天皇(539年~ 571)の御代に勅により「片野神社」と号した。
鎌倉時代の末期、元弘建武の兵火に罹って社殿の悉くを焼失したが、室町中期になると、禁中から、吉田家によって荘厳な儀典が執り行われ社殿が再建された。しかしながら再び、天文・永禄年間に、三好・松永らの戦いによる兵火に見舞われること数回、社殿をはじめ旧記宝物の悉くが灰燼に帰したことは誠に惜しい事である。
天正11年、豊臣秀吉公が大阪城築城の際、鬼門の方角に位置していた当社を大阪城鬼門鎮護の社と定めて尊崇、修築した。当社が大阪の鬼門除け、方除け社として世に知られる様になるのはこの時からである。さらに慶長7年には豊臣秀頼公が片桐且元を総奉行として復興、本社を大造営させたのが現在見る本殿、正門、築地塀である。