2010年10月31日日曜日

枚方フィル「定期演奏会」へ

枚方フィルハーモニー管弦楽団の第72回定期演奏会が枚方市民会館大ホールで行われたので聴きに出かけた。無料でほぼ満席で盛況だった。
演奏されたのは、前半はモーツアルト作曲歌劇「ドン・ジョヴァンニ」序曲、ビゼー作曲「カルメン」第1組曲、第2組曲から抜粋。15分休憩後チャイコフスキー作曲「交響曲第4番へ短調作品36」だった。久しぶりのモーツアルト、チャイコフスキー作曲を聴くことが出来て大変よかった。
この管弦楽団は、1954年(昭和29年)4人の若者が発起人となって枚方室内楽団を創設、団の充実に伴い枚方室内管弦楽団と改称し、現在の「枚方フィルハーモニー管弦楽団」に至った。団員は枚方市及び周辺都市にすむさまざまな年齢、職業の人で構成され、毎週1回の合奏を通じて音楽を楽しみ、団員相互の親睦を深めながら演奏技術の向上を図っている。活動は年2回の定期演奏会を中心に市の行事への参加、学校・幼稚園等への訪問演奏等も実施している。(公式サイトから抜粋) 写真はチャイコフスキー作曲「交響曲第4番へ短調作品36」を演奏の模様。

2010年10月25日月曜日

映画「桜田門外ノ変」鑑賞

10月16日に公開された映画「桜田門外ノ変」を鑑賞。監督は佐藤純彌氏、原作は吉村昭氏。日本史で有名な事件「桜田門外の変」にスポットを当てた映画。
あらすじは、安政7年(1860年)2月18日早暁、水戸藩士・関鉄之介(大沢たかお)は、妻・ふさ(長谷川京子)と息子の誠一郎(加藤清史郎)に別れを告げ、故郷から出奔した。同年1月、鉄之介は水戸藩の有志たちと徳川幕府の大老・井伊直弼(伊武雅刀)を討つ盟約を結び、これを実行するため江戸へと向かったのである。大老襲撃は3月3日に決まり、鉄之介を始めとする水戸脱藩士17名と、薩摩藩士・有村次左衛門(坂東巳之助)を加えた襲撃実行部隊18名が集結。そこで計画の立案者で水戸藩尊王攘夷派の指導者・金子孫二郎(柄本明)から、鉄之介は部隊の指揮を執るよう言い渡される。襲撃当日、品川愛宕山へと集結した鉄之介たちは襲撃地点である桜田門へと向かい、襲撃者の一人が大老の行列に直訴状を差し出す振りをして、行列に斬りかかる。同時に仲間が発砲した短銃の発射音を合図に、斬り合いが始まり、やがて有村が大老の駕篭へ到達、井伊の首を刎ねた。襲撃隊は稲田重蔵(田中要次)が闘死、4人が自刃、8人が自首。その成功を見届けた鉄之介は、京都へと向かう。計画では大老襲撃は序曲に過ぎず、同時に薩摩藩が挙兵をして京都を制圧、朝廷を幕府から守るはずであった。だが薩摩藩内で挙兵慎重論が持ち上がり、計画は瓦解する。幕府側からは勿論、かつての同胞・水戸藩士からも追われる立場となった鉄之介は、転々と逃亡するが・・・・・ついに2年後に捕えられ打ち首となる。
この映画は、襲撃側の現場指揮者である関鉄之介を主人公に物語は語られたもの。メインである”桜田門外の変”の襲撃シーンは前半に早々に訪れ、井伊直弼は登場した途端に殺されてしまい、あれもう終わりかと思うほどだった。このメインの襲撃シーンは雪が舞う中でのすごい迫力のあるもので見応えがあった。その後は、この変に加わった仲間、主人公関鉄之介の逃亡に焦点をあてたもので、改めて事件「桜田門外の変」のことがよく分かった。

2010年10月24日日曜日

「咲くやこの花対談」へ

22日~24日、中之島の大阪市中央公会堂で「咲くやこの花芸術祭」2010が開催された。
この中で、24日14:00~15:00「咲くやこの花対談(万城目 学(作家)旭堂南左衛門(漫談)氏の対談)」(テーマ「プリンセス・トヨトミ」と「難波戦記」の秘密)があり、興味があり聞きに出かけた。
万城目学氏(34才)は、大阪出身で京大法学部卒の作家、「プリンセス・トヨトミ」の著者。旭堂南左衛門氏は漫談師として活躍、対談ではほとんど聞き役だった。
今回映画化される「プリンセス・トヨトミ」の裏話などが詳しく聞けるのかと少し期待したが、書籍や映画に影響か?あまり聞けなかったのが残念。
情報として、この「プリンセス・トヨトミ」の撮影が最近終わり、これから2時間程度に編集され、来年5月末に一般公開されるとの話を聞けたのはよかった。 この映画は猛暑の中、エキストラとして参加した思い出のあるもので、大変楽しみだ。写真は対談中の二人、向かって左が万城目 学氏。

2010年10月22日金曜日

京都三大祭りの「時代祭」へ

京都三大祭の一つ「時代祭」の写真を撮りに京都御苑に出かけた。
この時代祭は、1895年(明治28年)平安遷都1100年を記念して平安神宮が創建された。その時、平安神宮の大祭、建造物、神苑の保存のため、市民により平安講社が組織され、記念事業として始まった。祭が行われる10月22日は、桓武天皇が794年(延暦13)に長岡京から平安京に都を移された日。この祭の特色は、神幸祭、行在所祭、還幸祭の神儀のほか、時代風俗行列が行われることである。明治維新から延暦時代へさかのぼって、順次風俗、文物の変遷を再現する。現在は20列、2000人に達し行列の長さは2キロに及ぶ。山国勤王隊を先頭に、正午、京都御所建礼門前を出発、烏丸通、御池通、河原町通、三条通から平安神宮まで4.5キロ間に一大時代絵巻を展開するもの。平成19年より「室町幕府執政列」と「室町洛中風俗列」が室町時代列として新たに行列に加わった。(サイトから抜粋)
京都御苑に10時半前に着いたが、写真を撮るベストポジションはすでに場所が取られていた。もう1時間前に行かないとダメと思う。仕方なく昨年と同じところの堺町御門の近くに陣取って撮った。今回で3回目の見物、一大時代絵巻を十分見ることが出来てよかった。

2010年10月19日火曜日

「サツマイモ」の初収穫

もう1週間~10日ほど早いかもしれないが、1区画のみサツマイモを掘り起こした。普通ツルを引っ張るとサツマイモが数本ついてくる畑がよいのであるが、当方の畑は小石が多く、また土が固いこともあって、ツルを引っ張ると茎のところで切れてしまうのがほとんどだ。サツマイモの畑には向いていない。小石を除去して新たな土を入れなおすとよい畑になるのだが・・・・・。
サツマイモを作り続けて10年近くになるが、最初の2~3年はよくとれていたが、その後はもう一つ。今年は「畑の大将」を使ったので期待したが、昨年よりは少しましの方だった。
残り2区画あるが、今月28日頃に掘り起こして、そのあとに玉ねぎを植える見込み。毎年のパターンだ。
上の写真はとれたサツマイモの一部。下の写真は、手前に赤ジャガイモと続けて9月12日に種まきした大根畑、右は28日頃に掘り起こすサツマイモ畑。


2010年10月16日土曜日

「きららマナビスト講座:楽しいおもちゃづくり教室」開催

今年5回目のきららマナビスト講座「楽しいおもちゃづくり教室」を開催。
15cmの紙皿2枚、厚紙、画用紙、結束バンドなどによる「メリーゴーランド」づくりだ。
いつも定員オーバーの申し込みがあり、今回も多くの参加申し込みと思っていたが、以外に少なく子供6名+父兄4名であった。途中で飛び込みがあり、参加者は子供9名、父兄5名だった。
「SAひらかた」のメンバー10名が参加、作り方の指導・支援をし一緒に楽しんだ。
上の写真は指導者によるつくり方の説明、下の写真は出来上がった3人の「メリーゴーランド」。上から息を吹くとくるくると回る。

次回は、12月25日(土)に恒例の「タコづくり」(ビニールタコ)を予定している。

2010年10月15日金曜日

第9回「秋のつどい」2010へ

NALC「天の川クラブ」恒例の第9回「秋のつどい」2010が交野市「星の里いわふね」で220名の参加のもと開催された。いつものように広報担当で写真・ビデオ撮影をした。(今年で7年)
第一部は11時から開会され食事・懇談でカレーライス・ヤキソバ・焼き鳥・焼肉・おでん・飲み物(ビール・ノンアルコール、ウーロン茶等)等があった。小生なカレーライス・焼き鳥・焼きそば、おでんを食べた。飲み物はビールを紙コップの3分の1程度、ノンアルコール(缶350ml)1本、ウーロン茶1杯
第二部は13時45分からフォーク&トークで中村好宏(枚方拠点会員)・早川 洋治(交野拠点会員)。そのあと西浦達雄ライブ、西浦氏はライブシンガーソングライターとして放送番組のテーマ曲やCMソングを多数制作。87年から朝日放送の全国高校野球中継のエンディング曲を担当し「高校野球バラードのカリスマ」ともいわれる。阪神淡路大震災の時は「歌のボランティア」として避難所を回った。今回の出演も、ナルクのボランティア活動に共感されて実現したもの。
今回、220名と過去最高の参加者、天候も秋晴れに恵まれ楽しい最高の一日を過ごすことが出来たようだ。毎回であるが、写真とビデオ撮影担当で、思うように楽しむことができにくかったことが残念。あと、写真とビデオはCDへ、またNALC「天の川クラブ」のホームページにも掲載する一仕事が残る。

2010年10月14日木曜日

「ひらかた大菊人形」へ

関西の秋の風物詩として長年愛され、2005年に閉幕した菊人形展「ひらかた大菊人形」が、京阪電鉄の開業100周年を記念し、今年限定であるがひらかたパークで開催(10月9日~11月28日)されている。
テーマはNHK大河ドラマ「龍馬伝」で、龍馬の生涯を薩長同盟や寺田屋事件など11の場面に分け、約1万株の菊などを使った人形27体で描くもの。妻のお龍(りょう)や桂小五郎など多彩な登場人物を鑑賞通路近くに展示し、「龍馬になった気分を味わえる」ように工夫されている。
ひらかた大菊人形は1910(明治43)年、京阪電車の大阪・天満橋―京都・五条(現・清水五条)間の開通を記念し、同府寝屋川市で開かれた菊人形展が始まり。44~45年を除いて毎年開催されてきた。ピークの74年には約85万人が来場。しかし、菊人形をつくる職人・菊師の高齢化や後継者不足から、96年間の歴史に幕を下ろしていた。
ひらかたパークでは閉幕後も毎秋、菊師から従業員らが技術を学ぶため、5体ほどの製作、展示を続けてきた。本格的な再開を求める声が多く寄せられたため、京阪電鉄の開業100周年の記念として1年限定での復活が決まった。
数十年振りに菊人形を鑑賞した。人形27体の中で、菊の花が満開に近いものも数体あるが、まだつぼみのものが多く、時期的に少し早いようだった。 
写真上は、「龍馬伝」の入口。写真中はまだつぼみの状態で、向かって左から後藤象二郎・坂本龍馬・中岡慎太郎人形。写真下は満開に近いお龍(りょう)人形。

2010年10月9日土曜日

映画「死刑台のエレベーター」鑑賞

本日、封切の映画「死刑台のエレベーター」を観に行った。1957年に製作されたフランス映画界の名作を初めて日本でリメイクし、傑作ミステリーの「死刑台のエレベーター」が角川映画で公開された。 あらすじは、「もう耐えられない。愛してる。」「僕も愛してる。」「もう離れられない。だからやるのよ。」携帯電話で会話する男女。女は港を見下ろすホテルの一室にいる。男は埠頭に止めたオープンカーの中。大佐と呼ばれる黒人が埠頭に現れ、「魔女からのプレゼントだ」と、男に拳銃の入った箱を渡す。女の名前は、手都芽衣子(てと・めいこ、吉瀬美智子)。大手企業・手都グループを率いる手都会長(津川雅彦)の年若い妻だ。男は、時籐隆彦(阿倍寛)、手都グループ傘下の国際医療ボランティア機構の主任医師。今日の夕方、時籐が手都会長を殺し、2人で逃げる計画だ。「あの人を殺して、私を奪いなさい」という芽衣子の言葉に殺人を犯してまで愛する人と一緒になりたいと、時藤は会長殺害を目論む。そして実行の当日、時藤は手都ビルのオフィスの5階から会長室のある1つ上の6階にロープで登り会長を自殺に見せかけて射殺する。そして、自分の階に下りるが会長室の階に引っ掛けたロープがなかなか外れず予定の15分が過ぎてしまう。自分の秘書にばれないように一旦ビルを後にするが、すぐビルに戻りロープを外しエレベータで降りるが途中、夜のため警備員(笹野高史)によって電源が切られ、その中に閉じ込められてしまう。エレベーターで、あせり、いらだち、恐れ、一夜を過ごす。
約束のカフェで芽衣子は時藤を待つが、時藤が来ないので心配して夜の街をさまよう。その頃若い警察官赤城邦衛(玉山鉄二)はチンピラ達にやられてピストルを奪わる。そのピストルがチンピラの暴力団の親分神健太郎にわたされるのを見つけ、時藤にあこがれる美容師の松本美加代(北川景子)と一緒にビルの前に止めてあった時藤の自動車を盗んで、親分と愛人の乗った車を追いかける。途中、親分・愛人と意気投合し、一緒にホテルに時藤の名で宿泊する。時藤の車に積んであったライカのカメラで記念撮影し、ホテルの写真屋に現像に出す。愛人は昔の恋人だった警察官赤城邦衛に、私のために親分を殺してと挑発する。そして、自分のピストルで親分、そして愛人をも射殺してしまう。恐ろしくなった二人は松本美加代のアパートで睡眠薬を飲み心中を図るが、死にきれなかった。
朝になり、エレベーターが動き出し時藤は外に出るが、ホテルの宿泊者名簿の名前から親分・愛人射殺の容疑がかけられ連行される。警察は自殺だと思い込んではいたが、時藤を殺害の犯人だとして自供を迫る。一方、警察官赤城邦衛は自分たちの殺害の証拠となる写真を取りに写真屋に向かう。あとを追う芽衣子。結局、警察官赤城邦衛は追いついた警察に逮捕され、写真が証拠となり親分・愛人の殺害犯として連行される。そして、そこには芽衣子と時藤の二人の姿も収められており、二人も会長殺害の罪で逮捕されるのだった。
愛と欲望に運命を狂わせ、もがく2人の男女を吉瀬美智子と阿部寛が熱演したよい作品だった。哀愁漂う映像やクールな音楽、スリリングなストーリーが最後まで観る者の心をとらえるものだった。

2010年10月4日月曜日

札幌から帰宅

昨日(3日)の「999人の第九」コンサートも無事終わり、朝帰路についた。朝10時前に札幌ガーランドホテルを出発し、運動のためホテルからJR札幌駅まで約25分歩いた。10時40分発の快速エアーポートで新千歳空港へ、展望台で飛行機の離発着を見たり、お土産品を買ったりして時間をつぶした。スカイマークSKY172便13時10分発神戸空港行に搭乗、帰宅は丁度17時だった。
今回、インターネットから往復飛行機+ホテル(3泊4日)の格安セットを探し、二番目に安いセットで、「すすきの」及び中島公園に近いホテルということで選んだ。価格はセットで37,600円(食事なし)、購入先は東京の㈱文物文化国際旅行社。通常よりも格安に行けたのではないか・・・。 写真はJR札幌駅、右の建物はJRタワーで一番上は展望台(38階160m、2日札幌の夜景を楽しんだ。)

2010年10月3日日曜日

「999人の第九」コンサート参加

札幌コンサートホール(Kitara大ホール、座席数2008席)にて第26回「999人の第九」コンサートが15時から行われた。指揮者:末廣 誠氏、ソリスト:平野則子(ソプラノ)・綿貫美佳(メゾ・ソプラノ)・岡村俊二(テノール)・中原聡章(バリトン)の各氏、管弦楽:札幌交響楽団、合唱は、「999人の第九」の会合唱団(277名)で、その内特別参加として道外から6団体、19名が参加、小生は「なにわ第九の会」として初めて一人で参加。
当日の概略スケジュールは、11時に大リハーサル室集合→11時10分に特別参加者への説明→11時30分~12時発声練習・入場順序の説明→12時30分~13時10分大ホールに移動しゲネプロ→15時から第1部開演(歌劇「ローエングリン」、第1幕への前奏曲・第3幕への前奏曲)→15時20分に大ホールに入場、着席→15時30分第2部(第九)開演→16時35分終演。その後は17時30分から近くの「ホテルノースシティ」での打ち上げパーティに参加。
今回、初めて参加して、①札幌のコンサートホールは音響もよく大変素晴らしかった。今までの第九のコンサートの会場としては一番よかった。(写真)②札幌の人達も親切に対応してもらったし、第九の仲間も増えた。③来年は9月24日(土)に決まっているとのこと、来年も参加したいものだ。

2010年10月2日土曜日

札幌市内観光

 札幌ガーランドホテルを9時半頃に出て、市内観光と18時から札幌芸術の森(アートホール)でのリハーサルに出かけた。
市内観光は大通公園を一回り散策(食品イベントが開催されていた)→「さっぽろテレビ塔」の展望台→札幌市時計台→北海道庁旧本庁舎→北海道大学北方生物園フィールド科学センター植物園→北海道大学内クラーク博士像→JR札幌駅構内。その後、地下鉄南北線の終点真駒内駅で下車、路線バスにて札幌芸術の森へ。芸術の森を散策した後、アートホールでのリハーサル(18時から1時間程度)に参加、終了後はJR札幌駅に戻りJRタワー展望台(38階、160m)で夜景をみた。これで一通りの市内観光ができた。
主な名所の概要は以下の通り。①大通公園「さっぽろテレビ塔」:札幌におけるテレビ放送開始を機に大通公園の東端に建設され、地上からの高さは147.2kmの建造物。展望台は地上90.38m、エレベーターで約60秒。展望台からは大通公園、札幌市を取り巻く山々を見渡せた。②「札幌時計台」:1878(明治11)年に札幌農学校の演武場として建設された農学校の一施設として存在しただけではなく1888(明治21)年に札幌の標準時時計に指定され、農学校の大時計として市民に親しまれてきた。1903(明治36)年に農学校が現在の北海道大学の場所に移転し、1906(明治39)年には札幌区が買い取り、解体せずに曳屋で現在地に移転した。③「北海道庁旧本庁舎」:「赤れんが」の愛称で親しまれている北海道庁旧本庁舎は、1888(明治21)年にアメリカ風のネオ・バロック様式で建てられた。日本の明治期を代表する建物とともに、緑豊かな前庭は札幌市のオアシスとなっている。内部には資料展示等があり一般開放されている。④「北大植物園」: 札幌駅から徒歩で約5分、周囲はビルが 建ち並び,コンクリートと騒音に満ちた世界から植物園に足を踏み入れるとそこには全く別の世界が広がっている。日本でも有数の植物園のひとつ。園内には樹木園、高山植物園、灌木園、草本分科園、北方民族植物標本園などの施設があり、北方地域や高山に生育する植物を実際に見ながら、その分類や生態を知ることができる。⑤「クラーク博士像」:Boys, be ambitious少年よ、大志を抱け)」は、よく知られている。海道大学構内に胸像、羊ヶ丘展望台に全身像がある。一般には羊ヶ丘展望台のものが有名である。写真は北海道大学構内の胸像。



2010年10月1日金曜日

札幌の第九に参加

第26回「999人の第九」コンサート(10月3日本番)に参加のため、神戸空港15時05分発のスカイマーク(SKY175)で札幌に出かけた。新千歳空港に17時に到着→JRエアポート快速で札幌駅(約36分)→地下鉄南北線で中島駅で下車→中島公園内にある札幌コンサートホールの大リハーサル室に18時半前に到着。指揮者による特別レッスンは18時からのためすでに始まっていた。練習日程には20時30分までになっていたので、その時間近くまであるのかと思っていたが、早々と19時頃に終了、意外な特別レッスンだった。
宿泊先の札幌ガーランドホテルまで地図を見ながら歩いて到着。(約7~8分)
その後、徒歩4~5分にある有名な歓楽街「すすきの」に、メイン通りを中心に一回りしてみた。
上の写真は神戸空港で搭乗したSYK175便、下の写真は「すすきの」の南4条西角ビルのネオン。