2009年12月30日水曜日

2009年の回顧

2009年の計画(目標)は、次の通りであったが、その結果(反省)を青字で書く。
1)枚方市「生涯学習情報プラザ」では、従来通りの仕事と新たな取り組みとして小学5・6年生を対象に「ホームページづくり」教室の開催で、小学生を対象としたパソコン教室をより充実させる。また、大人のパソコン教室(ミニ体験)の見直しとその実施。子どもの「楽しいパソコン教室」は大変楽しく、また参加したいと喜んでもらったことは大変よかった。「ホームページづくり」は春休みと夏休みに2回開催したが、もう一つ参加(合計7名)が少なかった。今後に課題を残した。 大人のパソコンミニ体験講習も多くの参加があり好評だった。
2)田舎(滋賀日野)での野菜づくりも例年通りやろう。収穫がもう一つの野菜(カボチャ・サツマイモ等)について土作りから考えてみよう。カボチャ・サツマイモの土作りはできず、今まで最低の収穫だった。特にサツマイモだ。しかし、夏にヤンマーの「畑の大将」をまいて大根や秋のジャガイモづくりは、今まで以上の収穫だった。
3)写真は季節の花はもちろんであるが、何かに特化して撮影に取り組もう。 これは今年の課題だ。それを「eizouの部屋」HPに掲載してより充実させる。残念ながら特化できず、次年に持ち越した。
4)合唱の第九は2月の東京両国「5000人の第九」、「鳴門の第九」、「かがわ第九」、「一万人の第九」に参加する。計画の参加に加え、初めて「第九ひろしま」(12/20開催)に参加し、第九の参加は合計28回目となった。初めての「第九ひろしま」はよくて、来年も行きたくなった。
5)ボランティア活動では、昨年と同じくNALC「天の川クラブ」・「彦機会」HPの更なる充実、「パナソニック松愛会枚方支部」のHP委員としての活動、そして子ども達との「楽しいおもちゃづくり」も同じ。計画通り行った。
6)今後「阿波踊り」はどうしょうか?体力的にも精神的にも何となくしんどいので考え中だ。それに代わるものとして、例えば楽器(ピアノ・篠笛等)、芸能等に挑戦するかだ。また、過去にやったテニス・海釣り・尺八・カラオケ・ゴルフ・料理等だが・・・・・。 早く決めて進めよう。阿波踊りはやめる結果となった。他に挑戦するものを見つけることができず、次年に持ち越した。
7)パソコンの勉強も更に進め上級者を目指す。WindowsVISTA(Word/Excel2007等含む)も使って1年半になるが、より使いこなしてマスターする。少しは進歩しただろうが、結果的には何もせず次年に持ち越した。
8)演芸・映画・美術鑑賞や珍しいこと、未体験等に積極的に取り組もう。⇒映画、美術鑑賞にはできるだけ行ったが、もう一つだった。
9)運動も最重要だ。ウオーキング、テニス、水泳などの運動を継続して(週4日以上)やろう!⇒運動は毎日ウオーキングや水泳などをやることで、そこそこ継続できた。
10)計画以外であるが、国内旅行(八ケ岳高原、鹿児島指宿)、マカオ・香港旅行ができたことはよかった

2009年12月25日金曜日

子どもの「おもしろパソコン教室」

冬休みの子ども「おもしろパソコン教室」を23日、24日に「カード・カレンダ-づくり」、25日~26日に「動物のアニメーションづくり」を開催した。参加人員は23日は9名、24日は3名と非常に少なかった。どうしてか原因は不明。25・26日の「動物のアニメーション」は定員(10名)
オーバーの申し込みがあり、いつも人気のあるコースである。
父兄や子供たちに「動物のアニメーション」の名前が人気を呼んでいるのではないかと思う。今回の動物は昨年の冬休みと同じ、「トナカイのソリに乗ったサンタクロース」で、塗り絵をしてからアニメーションの作図をし、動かして遊んだ。いつものことであるが、大変楽しかったと喜んでくれた。全員が次(春休み)も参加したいとのことであった。写真は25日の「動物のアニメーションづくり」の教室風景。

2009年12月24日木曜日

「きららマナビスト講座:立体凧づくり」開催

今年で6回目のきららマナビスト講座「楽しいおもちゃ作り教室」を「交流ルーム」で行った。今回、子どもの参加が少なく9名申し込みで、当日2名欠席で7名だった。「SAひらかた」のメンバー9名と、今年、大阪府高齢者大学の修了者10名が「立体凧作り」をしたいとのことで参加した。 毎年12月の暮れには凧作りを行いっているが、今回の凧は「立体凧」で、子ども達は「三角の立体凧」、大人は「四角の立体凧」を作った。材料は100キンで105円で買った。紙を張り付けるのに時間がかかり、苦労していた。写真は「三角の立体凧」の紙を張るのに、子どもにはちょっと難しいので母親が一生懸命にやっていた。

2009年12月20日日曜日

「ひろしま第九」2009に参加!

19~20日、RCC(中国放送・中国新聞主催)の第25回「ひろしま第九」があり、個人的に初めて参加した。19日、阪急交通社の広島1泊2日フリープラン(8時17分発ひかり「広島」行き、帰りは19時51分発ひかり「名古屋」行き、宿泊は「ホテルユニゾ広島」で16800円、普通では約26000円はかかるので格安)を利用した。
19日は一旦、ホテルに荷物を預けホテルの近くにある名勝「広島県縮景園」(広島藩主浅野長晟(ながあきら)の別邸の庭)→世界遺産の「原爆ドーム」→「平和公園」散策→「平和平和記念飼料館」→第九のリハーサル・本番会場の広島西区の「広島サンプラザホール」へ。 リハーサルが終わってから広電で「土橋」で下車して、平和大通りの「ひろしまドリミネーション2009を観賞、写真を撮った。
20日は本番だった。ホテルを8時過ぎに出発して、会場へ9時半前に到着。10時から席の調整、発声練習があり、ゲネプロは1部が11時半から、2部は12時20分頃から行われた。本番の1部は15時、2部は16時からだった。今回の市民合唱団は関東や九州を含む20都府県から6~86歳の1465人が集まった。地元出身の山下一史が指揮し、広島交響楽団が演奏した。ソリストはソプラノのデニス・ベックら外人4人が出演。ベートーベンの交響曲第9番「合唱」を、総立ちの聴衆(総勢約5000人)とともに高らかに歌い上げた。また、地元出身のバイオリニスト正戸里佳を迎え、サン=サーンス「序奏とロンド・カプリチオーソ」、サラサーテ「チゴイネルワイゼン」の演奏もあった。
写真は市民合唱団が聴衆と一体となって歌声を響かせた「第九ひろしま」の様子。

2009年12月17日木曜日

大阪南から淀屋橋の撮影

写真の親友2人と12時にヨドバシカメラB1に集まって昼食(ヨドバシカメラの「カレー工房ROJI」)後、なんばOCT→道頓堀→御堂筋→夜は御堂筋のイルミネーション、市役所・中之島公会堂の夜景などを撮った。 今年の1月15日に大阪市内の「千本松大橋」(めがめ橋)、「なんばパーク」などの撮影をして以来、11カ月振りの写真撮影だったが、いろいろな写真を撮ることができたし、忘年会も兼ねたもので話題も多く楽しいひと時だった。 
この時の写真は近日中に「eizouの部屋」に掲載の予定。 写真は淀屋橋「ODONA」前の自動車のイルミネーション。

2009年12月6日日曜日

サントリー1万人の第九

第27回「サントリー1万年の第九」演奏会に参加(9回目)。
演奏会の概要は、OPENINGは『Departures』(映画「おくりびと」テーマより)のチェロ奏者古川展生氏(「おくりびと」での奏者)と1万人第九アンサンブルとの演奏。
1STAGEはマッキー(槇原敬之)の歌で、槇原敬之作詞・作曲の「ムゲンノカナタヘ」(デビュー20年目の幕開けを飾る渾身作)、2曲目はスーパーキッズ・オーケストラによるマッキーの歌「見上げてごらん夜の星を」、3曲目は淀工吹奏楽部・スーパーキッズ・オーケストラによる槇原敬之作詞・作曲のマッキーの歌『世界に1つだけの花』(2003年にSMAPによって歌われた大ヒット曲)、合唱団も一緒に歌い、最後の「ラーララ・・・・・・・・・・・・・」では全員(合唱団・観客)も総立ちになり大いに歌って盛り上がった。このように全員での歌はすごく感動した。 2STAGEは、もちろん「交響曲第9番」(合唱付き)。
今回、第九を歌って10年、27回目の参加となった。今年も20日の「ひろしま第九」の参加を残すのみとなったが、目標50回を目指して歌い続けよう。 写真は無事に終わって第九のメンバー(「なにわ第九うとたろ会」)と大阪城ホール前での記念写真。

2009年11月22日日曜日

一心寺へ参拝

紅葉の写真を撮りにと大阪城に出かけたが、少し遅かったこともあってこれといった写真が全く撮れなかった。そのため時間ができたので、以前から思っていた「お骨佛のお寺」として親しまれている一心寺(浄土宗(南無阿弥陀仏と唱える))に参拝に行った。一心寺は宗派を問わず、納骨を受けて納められた遺骨は10年分をひとまとめにしてお骨佛(遺骨で造られる阿弥陀如来像)を造立している。お骨佛は核家族化や現在の墓地事情などの環境変化に加え、先祖の遺骨をいつまでも大切に供養したい、という遺族の思いを受け止める理想的な先祖祭祀・供養法として親しまれ、納骨に訪れる方は年を追って増えているらしい。 現在、一心寺の納骨堂には現在7体のお骨佛様がお祀りされている。明治20年に第1体目が造立されて以来、10年ごとに開眼しており、通算では13体になるが、戦前に造られた6体は残念ながら戦災で焼失してしまったとのこと。本日も納骨する人や納骨堂への参拝の人で賑わっていた。写真は本堂の横にある納骨堂で、7体のお骨佛が安置されていた。

2009年11月21日土曜日

香港観光

19日、朝早く(7時30分)高速船乗り場へ。マカオの出国手続き後8時30分発の高速船で一路香港、到着(香港島)後入国手続き。
観光順は文武廟(イギリス領になってまもない1840年代に建立された最古の道教寺院)⇒レパルスベイ(香港を代表するビーチリゾート、映画「慕情」の舞台で有名、天后廟)⇒2階建て路面電車に試乗(1904年から105年の歴史)⇒香港コンベンションセンター(国際会議、見本市や展示会などのイベントができる複合施設)⇒ヴィクトリア港から九龍島までスターフェリー乗船(両湾岸の摩天楼の風景をみる)⇒貴金属・シルク店ショッピング⇒夜はヴィクトリア・ピークからの100万ドル夜景⇒再度スターフェリー乗船し湾岸の夜景⇒アベニュー・オブ・スターズにて8時から対岸の光のショー観賞。オプションは、2階建ての屋根なしバスで夜の繁華街を走りぬける爽快なナイトライブと女人街(道の左右に女性の洋服、下着、時計、アクセサリー等を売る露店がびっしりと並ぶ)。 この日は香港内の観光や100万ドル夜景を十分に楽しむことができた。
翌日(20日)、香港空港16時35分発が30分程遅れたが無事に帰国した。今回、いろいろとハプニングもあったが、食事もホテルもよくて無事に帰国もでき、思い出に残る大変よい旅行だった。 写真は九龍島から香港島湾岸の夜景。

マカオ観光

朝はゆっくりで9時20分出発、世界遺産マカオ歴史地区観光だった。観光順は媽閣廟(マカオ最古の寺院で船乗りや漁師の守り神阿媽を祭る)⇒ペンニャ教会(1622年に建てられたカトリック教会)⇒セント・ポール大聖堂(東洋一のキリスト教建築物と称され17世紀の大教会の遺構、マカオのシンボル的な存在)⇒聖ドミニコ教会⇒セナド広場(地面には波のようなデザインのモザイクが敷き詰められた賑やかな広場)⇒ワイン倉庫でのショッピング⇒マカオタワー展望台観光(338m、2001年完成)⇒オプションで「タイパ島・コロアン島」の観光をした。写真はセント・ポール大聖堂。

マカオ・香港旅行

高校のクラスメートと3回目の海外旅行(マカオ・香港17日から20日)へ出かけた。参加は10名(男性3名、女性7名で妹含む)で、阪急交通社トラピックスのツアー(決定版!「マカオと香港4日間PARTⅡ」、参加30名)に参加した。
関空10:00発CX503にて香港へ、入国手続き後バスで市内の高速船(ジェットフォイル)乗り場へ。マカオへ行くために出国手続き⇒高速船に乗船⇒約1時間で到着しマカオ入国手続きして入国するという旧体制のままで、あと38年間はこのような1つの国としての体制を維持するらしい。
この日はカジノ見学。マカオ(人口53万人)には33軒のカジノがあり一日約50億円の売上?があるとのこと、現在もカジノ・ホテル・ショッピングの複合施設が数か所建設中で、今後55軒になるとの話だった。そのためカジノと観光で成り立っていて、税金もほとんど徴収されることもなく、暮らし向きは非常によいとのことだった。写真はマカオタワー(高さ338m、2001年完成したマカオのシンボル)から見たマカオの市街。

2009年11月15日日曜日

第5回「彦機会」記念総会

2年振りに第5回「彦機会」記念総会が、「彦機会」が発足して12年の記念総会として開催され、来賓に滋賀県立大学の内藤名誉教授、田中教授、「湖風会」の種橋会長、「彦根工業会」平田理事長、協賛会員6名と会員43名(参加55名)が参加して盛大に行われた。
午前の記念総会では、先ず会長より挨拶のあと「彦機会」の定例幹事会・会社訪問・同好会等の活動状況と今後の取り組みについての説明があり、最後に各活動への参加の呼びかけと、より一層のご支援・協力をお願いしたいとの話があった。続いて田頭顧問より「彦機会」の発足と経緯についての話の後、歴代の「彦機会」会長の紹介があった。また、祝辞として内藤名誉教授から『鳴門海峡の渦潮とプッシュ・プール局排装置』についてのお話しと今回、記念総会ということで、田中教授からは、『機械技術者から見た個人の成長と国々の興亡』と題しての特別記念講演があった。
午後、懇親会の前に「くらわんかカルテット」による前半のハーモニカ演奏(4曲)を行う予定であったが、特別記念講演等が長引いたため中止し、後半のみの演奏となった。
懇親会では、「彦根工業会」の平田理事長の挨拶、小生の音頭で乾杯して歓談が行なわれた。アトラクションとして「マジックショー」、後半のハーモニカー演奏(6曲)があり、内藤・田中両教授も途中からマイクを持たれ全員で「琵琶湖就航の歌」「河内おとこ節」「大阪ラブソディー」「故郷」「好きになった人」、アンコールとして「青い山脈」を大合唱して大いに盛り上がった。あと2~3曲は歌いたい雰囲気だった。最後に西澤顧問の締めの万歳三唱で無事に閉会した。
今回の記念総会は大いに盛り上がりがあり、今までにない総会でよかったと思う。写真は「くらわんかカルテット」のハーモニカ演奏で「故郷」を歌う。

2009年11月12日木曜日

大根の収穫

8月30日に種まきした大根の収穫をした。今年は例年より約1週間早く種をまいたことと、畑にヤンマー産業が販売している「畑の大将」を使ったので、例年以上によく育って太った大根のような気がする。
10日前(2日)に玉ねぎの苗220本(赤:120本、白:100本)を植えたが、その後雨が降らず枯れたのではないかと心配したが、枯れずに根付いていたのでホットした。
玉ねぎの植えつけも「畑の大将」と、元肥として有機飼料を少量まいて土と一緒に混ぜてから植えつけた。来年の5月にはよい玉ねぎができることを期待したい。

2009年11月10日火曜日

「FMひらかた」放送の収録

本日、17日(火)9:00~9:15に放送されるFMひらかた「枚方 きいて納得!」の収録があった。内容はきららのパソコンミニ体験に関するインタービューだった。過去に「SAひらかた」のボランティア活動で3名で収録したことがあったが、この時は3名で心の余裕もあってそれなりに受け答えができた。しかし、今日は一人で余裕もなく?受け答えがもう一つだっだ。もう少しうまくいくかと思ったが、トチッタリ、行き詰った答弁でスカットした受け答えができず、残念な収録に終わった。一回のリハーサルがあってからだとらうまくいくのだが・・・、いきなりの本番収録で、精神的にも余裕なしだった。うまくいかなかったのは、慣れの問題かそれとも話し言葉能力の問題か? 今日は新たな一つの経験と失敗をした。
担当の聞き手は、岸本香織さんという「南京玉すだれ」が趣味の丸顔の可愛い女性(写真)。担当ディレクターは一本杉さん。

2009年11月8日日曜日

2009「かがわ第九」へ

秋の風物詩になっている「かがわ第九」演奏会が8日、高松市玉藻町の「アルファあなぶきホール」の大ホールで開かれた。今年で4回目で、「なにわ第九うとたろ会」から2名が参加した。今年の「第九」は小学3年生から80代の愛好家まで約330人の合唱団。ソリストは小豆島町出身の高橋薫子さんら4人、オーケストラは11年連続の関西フィルハーモニー管弦楽団。指揮は香川でも人気のある藤岡幸夫さんだった。昨年と違って歌唱指導もうまく、そんなに疲れなかった。
演奏はベートーベンの「序曲コリオラン」に続いて「交響曲第9番」だった。クライマックスの「歓喜の歌」では2000人近い観客が総立ちになり、合唱団と一緒に歌声を響かせた。
今回、土日曜が有料道路でどこまで行っても1,000円(但し阪神高速は含まず)になったので、高松へは車で行った。往復約465kmで約4時間かかったが、トータル的には安く行けた。

2009年10月31日土曜日

映画「沈まぬ太陽」観賞

公開されている映画「沈まぬ太陽」を観賞した。8年前に原作を読んだことがあったので、楽しみに観賞することができた。物語は省略するが、

「きららマナビスト講座:自動車づくり」開催

今年5回目のマナビスト講座「楽しいおもちゃ作り教室」で、牛乳パック、ストロー、竹串、キャップ、紙コップ等を使った「自動車(アニマルカー)」づくりを行った。今回は何故かわからないが参加者の申し込みが10名といつもより少なく寂しいものだった。当方のメンバーは11名と多くの参加があった。
この「自動車」は、風で走らす、団扇で走らす、輪ゴムに引っ掛けて走らす方法があり、外出して風で走らせたり、室内では輪ゴムに引っ掛けて走らせたりして楽しく遊んだ。

2009年10月22日木曜日

時代祭へ

錦秋の京都を歴史絵巻が彩る時代祭が22日、行われ昨年に引き続き写真を撮りに出かけた。
秋晴れの下、明治維新から平安時代へとさかのぼる約2千人の行列が、軽やかに笛や太鼓を奏でる維新勤王隊列を先頭に、幕末の志士が続き、江戸時代の大名や安土桃山時代の武将は衣冠装束や甲冑(かっちゅう)姿で堂々と歩いた。女性たちも優美な十二単(ひとえ)や清らかな小袖姿を披露した。
時代祭は平安遷都1100年を記念して、1895(明治28)年に始まった。時代行列は戦争などで中止の年もあり、今年で105回目を迎えたとのこと。祭が行われる10月22日は、桓武天皇が794年(延暦13)に長岡京から平安京に都を移された日に決められて行われる。

2009年10月20日火曜日

九州鹿児島、桜島へ

2日目(18日)に鹿児島の市内観光後、桜橋桟橋から桜島フェリーで桜島港へ、徒歩5分にある国民宿舎「レインボー桜島」で宿泊、「桜島マグマ温泉」に入浴する。
3日目(19日)は9時40分、定期観光バスで「桜島めぐり」観光。湯之平展望台からの桜島や鹿児島市内を眺める。大正3年に爆発し埋まった黒神埋没鳥居は車窓から、有村溶岩展望所からは南岳昭和火口からの噴煙を眺めた。 桜島火山の有史以後の山頂噴火は南岳で起こっており、その度に溶岩流出や火砕流によって大災害となっている。近年1000年間に起きた代表的な噴火は、文明噴火、安永噴火、大正噴火(大正3年)、昭和噴火(昭和58年)の4つ。最近での大噴火は10月3日にあったが、今年になってから2月、3月、4月、5月に大噴火が起こっている。今回みた噴火の様子は、時々噴火をするが穏やかなものだった。写真は桜島の空が朝日で焼けたもので、噴火はあまり見られない。
帰りは鹿児島15時14分の新幹線で新八代⇒在来線の特急で博多⇒博多18時発で新大阪20時35分着だった。鹿児島桜島は随分と昔(昭和47年10月だから37年前)に和田・東川氏と行ったことがあるが、その時の記憶はあまりない。

九州鹿児島、知覧へ

2日目(18日)、「休暇村指宿」を8時半前に出発して、特攻基地の「知覧」へ。この「知覧」は、太平洋戦争末期、陸軍の特攻基地が置かれた町で、特攻平和会館には、その当時、人類史上類のない爆装した飛行機もろとも肉弾となり敵艦に体当たりした陸軍特別攻撃隊員(出撃した特攻隊員452人)の遺影、遺品、記録等貴重な資料を収集・保存・展示してある。
この基地からは20年4月から6月にかけて、女学校の生徒たちがたかく激しくふる桜花に送られて、特攻機が飛び去った方向には、富士山のような整った山「開聞岳」(薩摩半島の南端に立つ,924メートル)があり、特攻隊は、その上を越え特攻隊員の誰もが、この山の姿を、これが最後と、眺めて行ったとのこと。その時の心境はいかほどのものであったのか、計り知れない。
この会館は当時の真情を後世に正しく伝え、世界恒久の平和に寄与するもので、二度と悲劇が繰り返されぬよう、戦争の悲惨さ、平和・命の尊さを教えてくれるところである。今では考えられない状態だったのだと深く考えさせられた。

2009年10月19日月曜日

九州鹿児島、指宿へ

10月17日から19日、九州の鹿児島(指宿)へ旅行した。今回、JR西日本、JR九州・四国で3日間乗り放題を利用して、グリーン車で22,000円で行った。(グリーン車は2000円アップ)
17日は新大阪駅「のぞみ」7時42分⇒博多、在来線博多で特急「リレーつばめ」⇒新八代、新幹線で新八代「つばめ」⇒鹿児島、在来線鹿児島快速⇒指宿2時過ぎ着く、そこからトヨタレンターカーを借りて、「フラワ-パークかごしま」→「開聞岳」→「池田湖」をまわって、宿の「休暇村指宿」へ5時過ぎに到着。 天気がよくて、「開聞岳」の夕日を撮ることが出来た。写真は薩摩半島の南端に立つ富士山の形をした「開聞岳」(924m)と夕日。

2009年10月16日金曜日

「天の川クラブ」の「秋のつどい」

NALC「天の川クラブ」と「いわふねクラブ」合同の「秋のつどい」2009が交野市「星の里いわふね」で240名の参加のもとに開催された。いつものように広報担当で写真・ビデオ撮影をした。第一部は食事・懇談でカレーライス・ヤキソバ・焼き鳥・焼肉・おでん・飲み物(ビール等)・デザートがあった。カラーライス・焼き鳥・デザートを食したがビールは飲まなかった。
第二部は15周年記念行事での「チアリーディング」とソル デ ロス アンデスの「コンドルは飛んで行く」などのラテンの演奏があった。(写真)
今回の参加者は240名と過去最高、天候も秋晴れに恵まれ楽しい最高の一日を過ごすことが出来たようだ。写真とビデオ撮影の担当で、思うように楽しむことができにくかったことが残念だった。

2009年10月9日金曜日

関西医科大の取材

枚方市内にある6大学を取材(見学)して、その内容を松愛会枚方支部のHPに掲載し、広く会員や一般の人に紹介しようとする企画で取り組んでいる。本日は5大学目に「関西医科大学教養部牧野キャンパス」(自宅から徒歩で約5分にある)を訪問して取材した。
ここ牧野キャンパスは、昭和3年(1928年)6月に大阪女子高等医学専門学校を設立し、今日の関西医科大学になった発祥の地である。約9000坪の校内に本館、講堂、体育館、図書館、1・2・3号館の教室、食堂等があり、入学した1学年(116名、男性65%、女性35%)が1年間学ぶ場所になっている。2~6学年は滝井キャンパスで学び、医師国家試験合格後医師として育っていく。その合格者のうちで付属病院等に残る医師は20%、それ以外の人は条件の良いところへ行ってしまうとのこと、昔は50%だったが、何とかこの数字に近づけることが一つの課題とのことであった。
本館は約80年が経過し、正面の壁にはツタが張い独特な校舎になっている。これらの校舎は平成25年4月には、現在の付属枚方病院横に新校舎が建設され、専門部との合同校舎になり引っ越しとなるとのこと。この校舎・敷地は売却はしないという話であるが少し気になるところ。

2009年10月3日土曜日

京阪電車の撮影

午後1時から牧野生涯学習センターにて2回目(最終回)の「ビデオの撮影・編集講習会」があり、それが終わってから(午後3時過ぎ)京阪電車の木津川南の踏切(淀と八幡駅の中間辺りの宇治川南踏切)で、京阪電車の撮影をした。この踏切でしばらくすると一人の男性(40才代)がやってきた。話しかけて尋ねると東大阪から来たという。この男性は子どものころから電車が好きでカメラにハマったとのこと。今日は運転席の下に掲げているヘッドマーク(イベント・記念行事等のPRマーク)を撮るためとのこと。その車両は2両あり、それが写真の特急と普通電車だった。あとから4名のグループも同じ写真を撮りに来ていた。この世界にも撮り出すと拘りがあるのだと感心した。

2009年9月18日金曜日

大根の生育

今年の大根と水菜の種まきは、昨年より1週間早い8月30日に行った。本日の生育状態は写真の通りで、間引きと追い肥え(鶏糞+有機肥料)をした。向かって左が普通の大根、右の手前半分が赤色の大根である。水菜の移植はまだ早そうであと10日後になると思われる。 9月8日にも大根の種まきと秋のジャガイモ1kg(昨年は2kg)を植えた。

2009年9月13日日曜日

映画「火天の城」

昨日(9/12)公開映画「火天の城」(第11回松本清張賞を受賞した『火天の城』(山本兼一著・文藝春秋刊)を原作にしたもの)を鑑賞した。あらすじは、「天正四年(1576年)熱田の宮番匠、岡部又右衛門は、織田信長から、安土に五重の城の建設を命ぜられた。又右衛門は即座に引き受けたが、城造りを指揮する総棟梁は、名だたる番匠たちとの指図(図面)争いで決めると言う。さらに広く世界に目を向けていた信長は、当時日本にはなかったキリシタンの大聖堂のように、天井まで吹き抜けの城を望んだ。一世一代の大仕事を前に一致団結し盛り上がる岡部一門の番匠たち。夢のような城造りを前に、苦悩し、寝食を惜しんで指図作りに没頭する又衛右門を支える妻、田鶴。そして、一人娘の凛も、又右衛門の勝利をただひたすらに願った。指図争いの席、競争相手の番匠たちとは考えを異にして、又右衛門は吹き抜けにしなかった。意向に逆らった又右衛門に、激昂する信長。凍りつく指図争いの場で、又右衛門の番匠としての譲れぬ信念と誇りが信長を揺り動かした。「岡部又右衛門が、総棟梁じゃ!」やがて、大和六十六州の職人たちが安土に集結し、前代未聞の巨大な城造りが動きだした。 そして幾多の苦難を乗り越えて、ついに完成する。」であった。  

2009年9月6日日曜日

ルーヴル美術展へ

京都市美術館で開催されているルーヴル美術館展(17世紀ヨーロッパ絵画)に出かけた。大阪国立国際美術館でのルーヴル展(美の宮殿の子どもたち)ではすぐ入場できたので、すぐ入場出来てゆっくりと鑑賞できると思い出かけたが、すごい人で入場するのに1時間を要した。また、場内も沢山の人でゆっくりと鑑賞できにくい状態だった。今回、17世紀のヨーロッパ絵画ということで、世界最大規模、35万点におよぶルーヴル美術館の所蔵品から選りすぐった出展作品71点のうち、フェルメールの《レースを編む女》(左の絵画)、ルーベンスの《ユノに欺かれるイクシオン》など、およそ60点が日本初公開。また、レンブラントの《縁なし帽を被り、金の鎖を付けた自画像》、シモン・ヴーエ《エスランの聖母》などルーヴルを初めて出る作品もおよそ30点。まさに「これぞルーヴル」、「これぞヨーロッパ絵画の王道」ともいえる作品群であった。17世紀の絵画の71点は見ごたえのあるもので、楽しんで鑑賞することが出来てよかった。

2009年8月30日日曜日

畑の大将

先輩の国領さんよりヤンマー農機販売所で売られている「畑の大将」(販売元:大阪ヤンマー産業㈱)を使うとたくさん野菜(玉ねぎ、夏野菜等)がとれるとの話を聞いた。
早速、インターネットで枚方の販売所を探したが見つからず、仕方なく高槻支店へ行って購入。本日、田舎で試験的に大根と水菜の種まきに使った。
この「畑の大将」は1860円(10kg)と高いが、これでたくさんの野菜がとれれば、楽しみも増えるので、安いかもしれない?

2009年8月23日日曜日

水鉄砲づくり

今年度3回目のきららマナビスト講座「楽しいおもちゃづくり教室」を実施。子どもの夏休みには毎年「親子でつくる竹細工教室」という企画で実施してきた。今回は懐かしい「水鉄砲作り」ということで、NALC「天の川クラブ」竹遊会のメンバーの指導のもとに行った。14組の親子が参加。 
作り方としてはそんなに難しいことではないが、竹の内径が変形しているものがあり、そのままではうまく水を吸い上げられず飛ばしても飛ばないものも結構多かったが、水を少し入れてから吸い上げると、よく飛ぶようになった。子ども達はそれなりに飛ばしあって、キャーキャーと言って楽しく遊んでいた。 夏の遊びとしてよかった。

2009年8月20日木曜日

伊吹山へ

涼と秋の高山植物の写真を目的に4回目の伊吹山へ出かけた。西遊歩道コースから山頂へ→東遊歩道コース(下り専用)の約2.5kmを高山植物等を見ながら散策した。夏の花はすでに盛を過ぎており、見かけることは少なかったが、まだコオニユリ、リルトラノオ、コイブアザミがところどころにみられた。そのため花の写真はほとんど撮れなかった。

2009年8月10日月曜日

ナルク15周年記念行事へ

5月25日に京都会館で開催予定だった「ナルク15周年記念行事」が新インフルエンザの影響で本日行われ参加した。
京都会館で午前10時から12時まで、全国代表者会議が行われ、そこで会報・ホームページの表彰式・中山道ウオーク完歩者紹介等があった。ナルク「天の川クラブ」の会報は「奨励賞」、ホームページは「優秀賞」を受賞した。ホームページは5拠点が同じ優秀賞であった。
ホームページを担当して5年になるが、どこの拠点にも負けない豊富な活動内容、動画・画像を入れて見やすいホームページにしている。しかし、今回の評価は優秀賞の一番上であるが、他の拠点と同じ優秀賞? 他と比べても最優秀賞をもらってもよいものだが・・・・、どうしてと審査に不満を感じた。 しかし、もらえたのでよかった。
午後は第1ホールにて、高畑会長、堀田 力顧問の挨拶があり、3拠点の事例発表、芸能フェステバルとして13拠点からの出演があった。
午後5時半より記念パーティーがウェスティン都ホテルに約700名弱参加のもとに行われた。ここでは琴の演奏、日本舞踊、バンド演奏、全国拠点紹介、バンド演奏で会長の「北の漁場」の歌等があり、盛り上がったパーティーだった。

10周年記念コンサートへ

寝屋川演奏家クラブの10周年記念CONCERTが、門真市文化会館ルミエール小ホールであり聴きにいった。

2009年8月5日水曜日

「簡単なホームページづくり」

3日、4日に夏休みの「子どもおもしろパソコン教室」で『簡単なホームページづくり(私のホームページ)』を3日~4日の午前10時から12時まで実施(計4時間のコース)、その講師をつとめた。参加は小学5年生の4名と大人(中年女性)1名、計5名と少なくさびしい教室だった。昨年の末(冬休み)に第1回目を実施したがこのときは応募者が1名で、ほとんど講習にならなかった。今回、再度募集して実施したが、やはり人気がないのか?もう一つだった。次回の冬休みの実施はどうしょうかと迷うところだ。  サンプルは こちら です。
この夏休みも「おもしろパソコン教室」の実施が出来、それなりに子ども達にパソコンのおもしろさを伝えられたのではないかと思う。

2009年8月1日土曜日

びわこ箱館山ゆり園へ

天気予報では今日も明日も雨が降るとの予想。この2日の内で1日しか時間がとれないので、どうしょうかと考えたが、雨でもよいかとの思いで「箱館山のゆり園」に出かけた。やはり「ゆり園」に着くと雷と大雨で、しばらくヒュッテで雨宿りして、雨が小降りになるのを待って撮影した。いつものことであるが、それなりに撮影ができた。無料の駐車場から箱館山ロープウェイに乗り、1323mの山麓駅に着くと、そこは「ゆり園」だった。この「ゆり園」は箱館山のスキー場にゆりが200万植えられ、ゆりの楽園となっていて、西日本では最大の規模らしい。開園期間は7月11日から8月23日の予定らしいが、今は中咲のゆりが満開を迎えていた。まだ、遅咲もあるので未だしばらくは見られるみたい。観光バスでのツアー客も多くみられた。

2009年7月30日木曜日

「子どもおもしろPC教室」開催

夏休みの「子どもおもしろパソコン教室」で『動物のアニメーションづくり』を30日~31日の午前10時から12時まで開催(計4時間のコース)、講師をつとめた。対象は小学3年生から5年生で定員の10名が参加した。この教室は昨年の夏休みから開催、今回で4回目だった。毎回、この教室の『動物アニメーションづくり』は大変人気があって、定員オーバーの申し込みでうれしい悲鳴。1回目は「ワンちゃん」、2回目は「トナカイのソリに乗ったサンタさん」、3回目は「トンちゃんの乗馬」、今回は「浦島太郎」。 子ども達に人気があるだけあって、やる方にとってもおもしろい。 31日の2日目は、「たこ」、「とり」を追加して、子ども達は動物のアニメーションを楽しんだ。 動画はその見本の1つである。

2009年7月28日火曜日

PET/CT検査

初めてPET/CT検査を受けた。PETとは、「陽電子放射断層撮影」という意味で、ポジトロン・エミッション・トモグラフィー(Positron Emission Tomography)の略。がんは、実際に腫瘍(できもの)ができたり、体に変化が起きてから見つかることが多く、がん細胞の成長がある程度進んでからでないと発見できにくいものである。しかし、がん細胞自身が光って自分の位置を知らせれば、もっと早い段階で見つけることが可能で、「がん細胞に目印をつける」というのがPET検査の特徴。PET検査は、がん細胞が正常細胞に比べて3~8倍のブドウ糖を取り込む、という性質を利用するものである。ブドウ糖に似た物質に目印をつけて(FDG)体内に注射し、しばらくしてから全身をPETで撮影する。するとFDGが多く集まるところがわかり、がんを発見する手がかりとなる。従来のレントゲン(X線)やCT、MRIなどの検査は形からがんを見つけけるが、PETはこのように細胞の性質を調べてがんを探しだすものである。
これまで難しかったがんの早期発見を可能にしたPETであるが、全てのがん細胞を見つけられるわけでない。見つけられないがんもあり、見つけられない弱点と言われているところは他の検査でカバーするしかないらしい。 例えば、正常でもFDGが集まる臓器の泌尿器科系(腎臓、尿道、膀胱)・脳・心臓・肝臓等。
今回の検査の流れは、血糖値測定→医師より検査薬(FDG)を注射(約1分)→安静室でリラックスしお茶を飲んで休息1時間→排尿→1回目の撮影(約20分)→安静室で再度休息(約30分)→排尿→2回目の撮影(約15分)→以上で終了、約3時間で楽な検査だった。
結果は後日、医師から詳しい説明がある。がんは早期発見が第一。早期発見であれば治療期間、費用、苦痛も少なく完治する。健康診断等を定期的にきっちりと受け、それでがんが見つかったのであればそれなりにあきらめもできる。健康診断等をさぼって、たまに受けた健康診断や自覚症状でがんが発見されたとき、ああきっちりと健康診断を受けておいたらよかったと後悔をしなようにしないためにも今回、お金も結構かかるが受けた。

2009年7月22日水曜日

ルーヴル美術館展へ

6月23日から中之島の国立国際美術館で開催されている「ルーヴル美術館展」に出かけ鑑賞した。
今回、「美の宮殿の子どもたち」をテーマにした展示で、公式サイトには次のように説明文が掲載されていた。
『本展は、子どもが美術の中でどのように表現されてきたか、また子どもというテーマが作品の創造にどのように刺激を与えてきたかを、ルーヴル美術館のコレクションを通して明らかにする展覧会です。ルーヴル美術館の全8部門のうちイスラム美術部門を除く7部門から厳選した約200点の作品で構成され、ルーヴルが所蔵する唯一の子どものミイラをはじめ、日本で初めて公開されるものも多数含まれます。時代は古代から19世紀後半まで、地域的にもヨーロッパにとどまらず、エジプトやオリエントにまで視野を広げることによって、子どもに注がれてきた様々な眼差しを多角的に捉えます。
「子ども」というテーマを介して、作品が制作された様々な時代や地域の文化の理解を深めるまたとない機会となることでしょう。
展示においては、子どもの生涯のエピソードや、神話や宗教の中で表現された子ども、肖像や装飾として描かれた子どもなど、大きく7つのテーマに作品を分類します。ひとつのテーマが異なる文化圏やジャンル(絵画や彫刻など)によってどのように表されてきたかを比較しながら理解することができます。
すべての作品に注がれる優しくて清純な眼差し、無垢な子どもの時代への人類共通の思いを感じていただけることでしょう。』  画像はジョシュア・レノルズ「マスター・ヘア」(1788年)

2009年7月18日土曜日

今年の夏野菜の収穫

本日、12日振りに夏野菜の収穫に行った。キュウリは例年通り巨大キュウリを数十本、ナスビとピーマンも沢山収穫出来て、例年以上だった。これは肥のやり方(ナスビは元肥に石灰と有機飼料、ピーマンも有機飼料、追肥もほぼ同じ肥料にしたこと)を変えたことがよかったのだろうか。 しかし、カボチャが苗1本に1~2個しか収穫できない状態で、もう一つだ。ここ数年収穫があまりよくなかったので、少し肥のやり方も変えたが、あまり効果がない。来年はどうしょうか? 簡単なようで難しい。ジャガイモは4月2日に4kgを植えたが、植える時期が2週間ほど遅かったのが原因か?例年より収穫か少なかったようだ。(写真はナスビ畑)

2009年7月16日木曜日

関西外大へ

枚方市内にある6大学を取材(見学)して松愛会の会員や一般の方に広く紹介しようとの企画で、今回4校目になる関西外国語大学中宮キャンパスをHP委員6名で訪問した。校内の案内は課長補佐の橋本様で、パナソニックから5年前に出向として勤務されて、本年定年になられた方だった。同じOBであり気さくに話をすることが出来てよかった。
関西外大(大学院・大学・短大)の学生数は約13,000人(中宮キャンパス10,000人、穂谷キャンパス3,000人)のマンモス大学で、外語大学の中でも勝ち組に入っているとのことである。 この大学の特徴は、1)海外の大学(50カ国322大学)と提携し、留学派遣学生総数は約1,600人で国際交流のネットワークを広げていること。2)別科コースとして春コース(2・3・4・5月)と秋コース(9・10・11・12月)に海外の学生を受け入れている。3)社会に出てすぐ役立つ実学を身につけることに力点をおいていること。
片鉾の地から小松製作所の跡地に引っ越して6年が経過したが、広々とした校内に学舎、運動場、体育館、外人教員の宿舎、御茶室、創業者の庭、学長宅等があった。また、校内にはマクドナルド、コーヒーショップ、一般のレストランと少し高級?レストランや書店、コンビニなどもあり、若者達の1つの街に入った感じがした。 あと2つの大学(大阪国際大学、関西医科大学)の取材(見学)である。

2009年7月14日火曜日

朝日旅行に参加!

7月12日2泊3日の朝日旅行「緑しみる八ケ岳の初夏 高原ロッジにのんびり2泊」に出かけた。旅程の概略は7/12、京都駅「ひかり464号)8:56⇒名古屋特急「しなの7号」9:32⇒塩尻駅で「あずさ16号」に乗り換え小渕沢12:45着。ホテルのバスで八ヶ岳高原ロッジへ。早めの到着だったが、高原ロッジの周辺の散策(約1時間、八ケ岳音楽堂~高原ヒュッテ周辺コース)があり、心地よい自然を楽しむことが出来た。食後は8時から星空観察会があったが、あいにくの曇り空で星の観察はできなかったが、スライドでの星空を楽しんだ。
7/13は、8:00出発し八ケ岳・白駒池⇒バラクライングリッシュガーデン⇒昼食は「たてしな藍」で山里懐石⇒車山へリフトで山頂⇒約1時間ほど霧ヶ峰を散策、霧がかかり見通しも悪いこともあったが高山植物等の説明を受けながらの散策だった。⇒八島湿原の展望台まで散策⇒夕食は「八ケ岳高原ヒュッテ」でのバイキング。
714は、6時半より約1時間、美鈴池コースをバードウオッチング⇒朝食後「八ケ岳高原ロッジ」を9:00出発⇒佐久海の口から清里まで高原列車に乗車⇒柳生博氏の「八ケ岳倶楽部」⇒清里の清泉寮⇒清里高原ホテルで昼食(和食)後、バスで塩尻駅へ⇒「しなの18号」16:03⇒「京都」19:15着。帰宅は20:15頃だった。
この朝日旅行は初めての参加であったが、八ケ岳高原ロッジということもあって値段も結構高かったが、旅程もゆったりで八ケ岳高原ロッジにも泊まれ、食事もよくてよい旅だった。(写真は清里の清泉寮から富士山方面を望む)

2009年7月3日金曜日

山中伸弥氏の講演会へ

大阪国際会議場において、㈱アクティブライフ(大阪ガスグループ)創立20周年記念講演会があり、京都大学iPS細胞研究所センター センター長山中伸弥教授から「iPS細胞の今後の展望」と題しての講演があった。1000名近い参加者だった。世界で初めて成功した皮膚細胞からiPS細胞を作り出すまでの道のりについて、ジョークを混ぜながら詳しく説明をされ大変よく分かった。特に皮膚細胞(体細胞)に24個の遺伝子をどのように組み合わせて作り出すか研究生と一緒に試行錯誤を繰り返し、結果的に4個で作り出すことに成功したことの話が印象に強く残った。課題は山積(がん化等)しているが、世界中ではすごい勢いで研究が進んでいる。特に、アメリカではオバマ大統領になってから、日本の10倍の予算(金額)を投じて進められているとのこと。
本日の朝日新聞に、治療対象の病気(心筋梗塞、やけど、脊髄損傷、糖尿病、肝不全等)に対する作製する細胞の動物治療研究から臨床研究への開始時期など具体的な目標を掲げた研究ロードマップ(工程表)が文部科学省から発表されていた。このロードマップの目標をみると、この10年先頃にはこれらの病気も大分克服されるようで、今後の研究の進歩に大いに期待したい。(写真は講演前の会場風景) 
【iPS細胞】:さまざまな細胞や組織に分化する能力を持つ多能性幹細胞。体細胞に3~4個の遺伝子を導入して作りかえる。山中教授らが皮膚細胞から作製することに世界で初めて成功した。 傷ついたり病気になったりした細胞を作り直す再生医療の実現に近づくと期待されている。

2009年6月28日日曜日

サツマイモの植え付け

今年のサツマイモの植え付けは、アズマニシキ130本をしたが植えてからすぐに雨が降らなかったためか?約半分が枯れてしまった。(今まで、このように枯れてしまうことはなかった) もう今の時期になるとアズマニシキはなく、なると金時と安納芋が売られていた。それもここ数日でなくなるだろうと思われる。 値段が結構高いが、仕方なく初めてこの安納芋(価格は10本で580円、20本)となると金時(5本しかなかった)を買って植え付けた。(写真が安納芋) 明日から本格的な梅雨で、雨も降るため今度は、枯れる心配はないだろう。
この安納芋は種子島の安納地区で昔から伝えられてきた伝統野菜中の伝統野菜。 亜熱帯性で、暖地で栽培すると甘さや旨味も増すらしく、台風の影響も比較的受けにくく、種子島の気候風土に非常に良く合った作物らしい。食味も大変に良いので、蒸かし芋や焼き芋にするのがお薦めとのこと。 収穫が楽しみだ。

2009年6月25日木曜日

パナソニックの定時株主総会

パナソニックの「第102回定時株主総会」が大阪城ホールで開催されたので、昨年に引き続き出席した。昨年まではホテルニューオータニ大阪で行われていたが、今年2月から100株単位の売買の移行に伴い、出席者が多くなるとのことで(新聞報道の予想では、出席者10000人?)会場が変わった。今年の出席者は約2800名との発表があったが(NHKの関西845のニュースでは約3400名と報道された)、昨年より約100名増えただけで、予想以上に少ない?出席者だった。質問は7件あったが、特に配当金で子会社のパナソニック電工が12.5円/株に対して、親会社がどうして10円/株になるのか? 長期株券保持者と短期保持者に差をつけほしい、赤字の経営責任はどうなっているのか?・・・等の質問・要望があった。 その他には何か訳の分からないような変な質問?もあった。
第1号議案の定款一部変更の件、第2号議案の取締役19名の選任の件の2件が決議され、11時半過ぎに無事終了した。 今年度もより厳しい経営環境の中で、計画段階では赤字であるが経営改革・新製品開発をより進め、利益の出る優良企業へいち早く立ち直ってほしいとエールを送りたい。 

2009年6月19日金曜日

パナソニック電工の定時総会

パナソニック電工の第103回定時株主総会が10時から本社別館1階ホールにて行われたので、電工の株を取得して20数年経つが初めて出席した。出席者は460名で思ったより少なかった。質問も難義なものではなく一般的なものだった。特に混乱することなく第1号議案の定款の一部変更の件、第2号議案の取締役14名選任の件が決議され、11時半過ぎに無事終わった。お土産は「振動式の歯磨きブラシ」でよかった。(写真は電工HPの「投資家情報」からのもの)
そのあと、近くにある松下の歴史館に久し振り(10年振り?)に立ち寄ってみた。松下幸之助没後20年特別展「苦境を超えて」が開催されていた。

2009年6月11日木曜日

藤森神社の紫陽花

紫陽花の花が満開とのことで、紫陽花で有名な藤森神社に出かけた。この神社は今から約1800年前に、神功皇后によって創建された皇室ともゆかりの深い古社。本殿は正徳2年、中御門天皇より賜ったもの。特に、菖蒲の節句発祥の神社としても知られ、今日では勝運と馬の神様として、競馬関係者(馬主・騎手等)、また、競馬ファンの参拝者が多い。また紫陽花の宮としても知られ、例年多くの参拝があり、境内に2ヵ所の紫陽花苑、延べ1500坪の苑内には3500株の紫陽花がある。(公式サイトの沿革より)
紫陽花は、いま満開を迎えていた。写真を撮るには2~3日、早い方がよかったのでは?と思うが、それなりに撮ることが出来た。

2009年6月10日水曜日

NALC「天の川クラブ」定時総会

本日、第15回NALC「天の川クラブ」の定時総会が、メセナひらかたで開催された。来賓は竹内枚方市長、枚方市高齢者室室長、枚方福祉協議会会長兼NALCの高畑会長等6名、会員参加は約100名であった。第1部は定時総会、第2部は講演会で「グループホームでの暮らし生き生きと」題しての話、第3部は懇親会で、余興としてそれぞれの会員によるマジック、日本舞踊、「越中おわら節」の踊り、その後鳥居氏の「歌のプレゼント」として3曲の歌があった。最後に全員で炭坑節を踊って盛り上がって終了となった。
今回で5回目の写真、ビデオ撮影であったが、結構疲れた。この後、写真とビデオ編集をしてCD作成、そしてHPへの掲載が待っている。かなり時間を取られそうだ。 写真は2008年度活動報告・2009年度計画発表の様子。

2009年6月7日日曜日

第28回なるとの第九に参加

6月7日、第28回なるとの第九演奏会(於鳴門文化会館)があり、今年で4回連続しての参加。そのプログラムは、歌劇「魔笛」序曲モーツァルト作曲交響曲第9番ニ短調「合唱」(シラー訳詞ベートーヴェン作曲)、指揮:田中 一嘉、ソリスト:井上 ゆかり(ソプラノ)、小川 明子(メゾ・ソプラノ)、頃安 利秀(テノール)、河野 克典(バリトン)、管弦楽:徳島交響楽団、合唱:NPO法人 鳴門「第九」を歌う会、全日本「第九を歌う会」連合会だった。合唱団は総勢約570名で、北海道から九州まで多くの県外からの参加があった。当「なにわ第九の会」から5名(遠藤・岩本氏、西野・奥さん)が参加した。
この第九演奏会の初の参加(出演)は、1999年1月25日フェステバルホールで朝日新聞社120周年記念行事の一環としての第九演奏会(指揮:小林研一郎氏)だったが、丁度満10年で25回目の第九となり節目を迎えた。 第九を通じて、これからも自らの第九の歴史を刻み続けていきたい。次の目標は倍の50回、その間にはベートヴェンの生誕地も訪れたいし、海外での第九も歌ってみたい。

第28回なるとの第九、前夜祭

昨日(6月6日)、第28回なるとの第九の前夜祭が行われ参加した。その内容は、第1部は混声合唱による『日本の四季』で朧月夜、茶 摘、紅 葉、雪、ふるさとの4曲。指揮:豊成 哲、ピアノ:吉成くみ、合唱:NPO法人 鳴門「第九」を歌う会、全日本「第九を歌う会」連合会参加団体有志の29団体353名。第2部はソリストによるオペラアリア、ソプラノ:井上 ゆかり、アルト:小川明子、テノール:頃安 利秀、バリトン:河野 克典、指揮:田中 一嘉、管弦楽:徳島交響楽団。第3部は第九交響曲第9番「合唱付」第4楽章(ベートーヴェン作曲)、指揮:田中 一嘉、ソリスト:坂井 里衣(ソプラノ)、安永 紀子(メゾ・ソプラノ)、那知上 晃(テノール)、岩田 源理(バリトン)管弦楽:徳島交響楽団、合唱:NPO法人 鳴門「第九」を歌う会、全日本「第九を歌う会」連合会だった。当「なにわ第九の会」から遠藤氏と一緒に(2名)参加した。
『日本の四季』の合唱練習なしで、当日の練習のみ(約40分)で本番に参加したが、歌詞のところは歌えたがそれ以外の口ずさむところなどは全く駄目だった。 このような合唱は練習せずに出ること自体がダメで、今後はよく考える必要がある。 写真はリハーサルの風景(第九日記さんからのお借りもの) その夜は「ホテルはま」の近くの料理屋「大家」にて、6時45分頃から9時前まで懇親会を6名で行った。

2009年6月4日木曜日

タマネギの収穫

タマネギの収穫と、その跡にサツマイモを植えるため出かけた。タマネギは小さい玉も大きい玉もあり、例年とおりそれなりに良く出来た?のではないかと思う。写真が収穫したタマネギ。
その跡にサツマイモを50本と先日(5/25)50本植えたが雨が降らなかったのか?半分ほど枯れてしまっていたので、25本植えなおした。この頃になるとJA甲賀や高木商店にもなく、八日市のカワシマ園芸まで買いに行った。今後、買う場合、高木商店が一番安いので事前に連絡しておくと安く買える。 今回のサツマイモはカワシマ園芸で30円/本で買った。高木商店では25円/本だ。

2009年6月2日火曜日

城北公園の花菖蒲

今回、初めて大阪旭区の「城北公園の花菖蒲園」へ出かけた。まだ咲いていない菖蒲も見受けられ少し早い感じ(5~6分)でしたが、それなりに写真を撮ることができた。
ここは昭和39年(1964年)、関西で初めてできた回遊式の花菖蒲園。約1.3haの敷地に約250品種、およそ13,000株の花菖蒲があでやかな花を咲かせる。 花菖蒲はアヤメ科。水辺など湿った地に栽培される多年草。高さ60cm~80cm位で群生する。葉は、隆起した中脈をもつのが特徴。花は、初夏に大きいもので、径15cm位に達し、紫、白、絞りなどの色がある。
ここでは、〔江戸系〕:東京種あるいは江戸種ともいわれ、旗本の松平左金吾(菖翁)(1773~1856)の時代から江戸地方で収集改良されてきた品種の総称。 庭の池や流れの岸に植え、群生美を楽しむための品種。 色彩、花形、草勢ともに様々で、他の品種に比べて性質も強く、一般に高性である。 〔肥後系〕:幕末の頃、松平左金吾(菖翁)の手から肥後の藩主に渡った品種が改良されたもので、群生美よりは個々の草姿、花容が重視されるため、鉢植えで栽培され、男性的で、花が大きく、豪華な感じ。 〔伊勢系〕:江戸中期から伊勢松阪地方で改良されてきた品種で、草丈は低く、花茎は葉とほぼ同じ高さまでしかならない。 優雅で清楚な趣があり、鉢植えや茶庭の植え込みとして栽培され、女性的で繊細な感じ。(HPより抜粋)

2009年5月29日金曜日

伊丹スカイパークへ

守口の歯科医院まで行ったついでに、と言っても遠いが飛行機の写真が撮りたくて大阪空港に行った。飛行機の撮影場所としては4カ所ある。送迎デッキ、滑走路の最南端と北側あたり、それと昨年7月に完成した伊丹スカイパークである。今回は、送迎デッキ、滑走路の北側あたりとスカイパークに行って撮影した。撮影場所としても遊びとしても最も良いのが、このスカイパークで飛行機の離陸、着陸する様子を目のあたりに見ることができる、よいところだ。
このスカイパークは航空機騒音を和らげる緩衡緑地として国と県と市の3者が協力して平成5年から整備し、平成20年7月に完成した9ヘクタールの広大な公園。高さ約7mの芝生のマウンドを帯状に連続して整備し、【北エントランス】【大空の丘】【冒険の丘】【つつじの丘】【中央エントランス】【星空の丘】【休息の丘】【翼の丘】【南エントランス】と9つのエリアから構成されている。 写真はこのパークで、JALが離陸する時に撮影したもので、一日居座って写真を撮れば、いろいろな写真が撮れるであろう・・・と思った。 
滑走路の中間当たりで、飛行機の写真を撮り続けて50年という高槻市在住の80歳の男性といろいろと話す機会があった。国内の飛行場での写真は勿論のこと、海外にも数回出かけて撮影してきたとのこと。50年前の飛行機の写真や現在の飛行機の写真を沢山持っているとのことだった。
1つのことに特化して撮り続けることが、良い写真の撮り方だ。 これを機会にしばらく、飛行機の写真に特化して撮ってみようか・・・と思う。

2009年5月25日月曜日

サツマイモの植付け

野菜の収穫(サニレタス、タマネギ、サヤエンドウ)とサツマイモの植付けに出かけた。タマネギの本格的な収穫は、もうあと1週間から10日先であるが、全体的に玉が小ぶり。収穫までどれだけだ大きくなるかなぁ? その後はサツマイモ(50本程)を植える予定、本日は取りあえず空いている二畝に50本植えた。 写真は手前が10日程遅く植えたジャガイモ、タマネギ、本日植えた二畝のサツマイモ、タマネギで、その横(塀側)にはカボチャ5本も植えている。夏野菜のキュウリ、ナス、トウガラシは裏の畑に植えている。

2009年5月24日日曜日

中山道エコウオーク最終日参加

ナルク15周年記念行事の1つとして「中山道エコ・ふれあいウオーキング」(約533km)が4月24日東京日本橋からスタートし、本日が最終日であった。
京阪地区の会員が13時にJR山科駅前に集合し、三条大橋まで一緒にウオーキングに参加した(約7km強)。完歩者(21名)を先頭に山科からの京阪地区の会員(約百数十人?)が続き、長蛇の列が出来た。どこの何をする団体(宗教団体?)かと聞く人もみられた。 終点、三条大橋の下の河原でセレモニーが行われ、3時半ごろに、この行事がすべて終了した。この15周年記念行事は明日(25日)、京都会館で全国の拠点の会員約2000名が集い行われる予定だったが、新インフルエンザの影響で8月に延期となった。
昨日、京都植物園で約3時間歩くなどした影響で、左足のかかとが歩くたびに痛み、歩けるかと心配もしたが、何とか痛みもひどくなく歩くことが出来た。 ヤレヤレだった。 写真は完歩した人たちを先頭(一番先頭は野村さん)に蹴上げから東山へ向かう。

「きららマナビスト講座:おもちゃ作り」開催

昨日(5/23)、今年度(2009年度)第1回目のきららマナビスト講座「楽しいおもちゃ作り教室」を開催した。牛乳パック、割りばし等でつくる「輪ゴム鉄砲」だ。子供小学1~3年生が14名集まってくれて、メンバー11名と一緒に楽しくおもちゃ作りをし、的を狙って輪ゴムを飛ばして遊んだ。この日もFMひらかたの実況放送もあり「SAひらかた」のPRも出来た。写真は作った「輪ゴム鉄砲」を手に持って、楽しそうな子供達。 午後からは久し振りに京都府立植物園にバラの写真を撮りに出かけた。しかし、花の盛が一週間程?過ぎていたので、ほとんどの花が散りかけ、花びらも落ちていた。綺麗なバラを探して撮った。近日中に「eizouの部屋」に掲載予定。

2009年5月15日金曜日

葵祭へ

京阪沿線に住んで初めて葵祭を見物した。 この葵祭は京都三大祭のひとつで、わが国の祭のうち最も優雅で古趣に富んだ祭として知られている。平安朝の優雅な古典行列は平安貴族そのままの姿で列をつくり、京都御所を10時半に出発、総勢500名以上の風雅な行列が下鴨神社を経て、上賀茂神社へ向かうものである。
この祭りは賀茂御祖神社(下鴨神社)と賀茂別雷神社の例祭で、5月15日に行われる。古くは賀茂祭、または北の祭りとも称し、平安中期の貴族の間では、単に「祭り」と言えば葵祭のことをさすほど有名であった。また、この祭の特徴は、平安時代以来、国家的な行事として行われてきたので、わが国の祭のなかでも、数少ない王朝風俗の伝統が残されているということである。
賀茂祭が葵祭と呼ばれるようになったのは、江戸時代の1694年(元禄7)に祭が再興されてのち、当日の内裏宸殿の御簾をはじめ、牛車(御所車)、勅使、供奉者の衣冠、牛馬にいたるまで、すべて葵の葉で飾るようになって、この名があるとされる。
今回、京都御所の堺町御門の出口で見物しながら写真を撮った。時代祭とは違った感じの見ごたえのある行列だった。 

2009年5月10日日曜日

「ウオーキング&小旅行」に参加

「彦機会」同好会の「ウオーキング&小旅行」で、第5回「中江藤樹の里巡りと郷土料理」があり出かけた。これは高島市安曇川の近江聖人・中江藤樹の誕生地を訪れ、藤樹ゆかりの史跡めぐりと郷土料理を食するというものだ。
まず、道の駅「藤樹の里あどがわ」へ10時15分に集合、現地観光ボランティアガイド(中井さん)の案内で陽明園⇒中江藤樹記念会館⇒藤樹神社⇒藤樹の墓地⇒藤樹書院の詳しい説明を受けた。その後、郷土料理の「吾兵衛」で、約2時間ほど郷土料理を楽しんだ。
2時半過ぎに市の中心地に移動し、史跡や街並みの散策を観光ボランティアガイド(三宅さん)の案内で行った。今回、初めての安曇川市内の散策で、安曇川の歴史がよく分かってよかった。 参加者も22名と多く、天気にも恵まれ最高の同好会だった。